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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
419:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:04:20 ID:???0 [sage ]
続き。
臘日。この日こそが、孫綝を除くことができる、唯一のときでした。
この日、参内を前にした孫綝は妙な不安を抱きますが、すみやかに退出できるよう図った上で、参内することとしました。
参内をせかす急使が何度も来たことにもう少し不審を抱いてもおかしくないところですが、これは、ここまで孫休が孫綝
の警戒心を削ぐことに成功していた、ということでもあります。
参内し、手筈通り、退出するはずだったその時…! 張布の手勢が孫綝を縛り上げました。孫綝は、してやられた、と苦笑
しつつ、孫休に助命を乞いますが、かつての呂拠・滕胤のことを持ち出されては、ぐうの音も出ません。
孫綝は首を打たれました。享年二十八。その一族は族滅され、呂拠・滕胤(及び諸葛恪)の名誉は回復されました。
かくして、呉は、一応皇帝の尊厳が取り戻されたわけですが…魏はそうはいきませんでした。次回は、その顛末が語られる
のでしょうか。
追記。
孫綝は、軍事・政治共に無能でしたが、危機を察知することには長けていました。この時も、察知してはいたのです。それを
打ち破るあたり、孫休も無能ではありません。
行状芳しからぬ孫奮を除き、孫権の息子達は有能ですね。
ただ、(本人の意思の賜物でもあるとはいえ)運頼みになった感があります。このあたりは、どうなるのでしょうか。
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