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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
427:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:25:06 ID:???0 [sage ]
続き。
譙周という人の評価は難しいところです。学者としては優秀です(三国志の著者・陳寿の師でもある)し、この時の意見も
正論です。しかし…国家への忠誠、という点では、どうも引っかかります。
とはいえ、彼の意見は、(この状況下では)十分過ぎるほど理に叶ったものでした。前線の状況が分からない以上、ケ艾と
戦っても勝てる見通しはありません。ここで戦えば、皇帝の身も危うくなります。
一方で、先の曹髦のことがあります(皇帝弑逆との批判をかわすため、司馬昭は、敵を作らないことに腐心せざるを得ない)
から、ここで降れば皇帝の身の安全は保証される、という冷静な計算もありました。
もちろん、ここで戦って民にさらなる苦難を与えることは避けたい…という為政者としての責任、というのもあります。
劉禅としても、苦しい決断ではありましたが…ことここに至ってはやむなし。ついに、降伏を受諾しました。子の一人・劉
ェは、先帝に申し訳ないと父を批判したのち、自害して果てましたが、これは国民への弁解である、と書かれているように、
いろいろ難しい事情がある、ということを考えさせられます。
昨日まで至尊の存在であった皇帝が、今日は罪人として敵将の前に身を晒す。ケ艾は、国が滅びるとはこういうことか、と
感慨にふけります。
追記。
物語においては、劉禅の降伏は批判的に書かれることが多いと思いますが、本作では、割と肯定的に描かれていました。
状況を考えれば、賢明な判断であったのは確かですしね。
今回で、「三国時代は終わった」わけですが、まだ「完」ではありません。最低でももう一回はあるわけですが…どこまで
描かれるのでしょうか。
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