下
★『宮城谷三国志』総合スレッド★
54: 2002/11/02(土) 17:11 ぐっこ 2002年10月23日水曜日 23時16分 やや、連載開始1年半にしてようやく曹操や孫堅が「誕生」したという、人類史上でもまれに見るスローペース三国志の続報! 宮城谷先生、五本も…。日に7枚って、けっこうなペースと思います。たしかエッセイの中で「小説は才能よりも持続力、言い換えれば執念で書くもの」と言う類の名言を残されてましたが… というか、竜党でしたか(^_^;) なまじ史学色が強いだけに、本格的にアレな人たちから散々叩かれている宮城谷三国志ですが、私はものっ凄く楽しみです! 氏が書く曹操や董卓ら「悪人」がどういうキャラクターになるのやら…。呂不韋みたいな優等生にはなって欲しくないですが〜。 ぼちぼち張奐も登場ですかにゃ( ̄ー ̄☆
55:左平(仮名) 2002/11/10(日) 19:25 ◆第一次党錮の禁(途中) 今回の宮城谷三国志◆ 搓c后失脚の理由…皇帝の寵愛をめぐって、竇氏と言い争いになった為だとは…。 桓帝、皇帝としてもですが、一人の男としても、小さい…あまりにも、小さい…。 (後宮に六千もの美女を集めたといいますが、たった一人の女も満足に愛せないとは) 「桓」という謚が泣くぞ!! と、もてない男の怒りはさておき、今回の流れですが…。 とにかく、黄巾の乱以前に、こんなにも乱が頻発していたのか、というくらい地方での叛乱が。桂陽など南部荊州・涼州、そして、檀石槐。 暗愚な皇帝・私利私欲に走る宦官達、「前門の虎、後門の狼」という厳しい状況の中、李膺・陳蕃・段ケイ【火+ヒ+頁】・張奐達が活躍します。 が、そんな状況だというのに、ついに、「党錮の禁」が発生!! 今回は、まだ途中経過といったところですので、次回も気になるところです。
56:★ぐっこ 2002/11/11(月) 00:04 >黄巾の乱以前に、こんなにも乱が頻発していたのか 逆に言うと、黄巾の乱がどれだけ凄絶な規模のものだったかが 伺えますよね…。 乱…というより、小規模の乱や寇禍の類は、殆ど日常的に続発し、 それを制圧する西方部隊というのは、後漢後期からやや特殊なポジション にいたカンジで…。董卓の特異性なんかも、そのあたりから説かれそうで 嬉しい限り! そしてその前の騒ぎである党錮がいよいよ…。楽しみ〜!
57:左平(仮名) 2002/12/10(火) 21:03 ◆党錮→党錮、羌と侠 今回の宮城谷三国志◆ まずは、あらすじから。 宦官達による清流士人の弾劾は、結局のところ、なかば失敗に終わります(第一次党錮の禁)。終身禁錮とする事で朝廷から追放したものの、彼らに名を成さしめたわけですからね。追放された方に世間の同情と尊敬が集まり、政府の存在意義をも疑わせる様な状態になったわけですから、結果の如何にかかわらず、王朝の命運は尽きようとしている、と言えるでしょう。そんな中、桓帝は崩じます。「怠惰」の一言で片付けられる「桓」帝。子作りにさえ怠惰だったのか?とツッコミ入れられる「桓」帝…。こりゃ、あきませんわ。名と実が全く合っていませんもの。 で、迎えられたのが霊帝ですが、彼の賢愚のほどは、今回の時点ではまだ判然としません。そもそも、然るべき皇族自体が払底していたというのですから。こんな政権を担当する、大将軍・竇武。お疲れ様です(皇太后となった娘も、ろくな人物ではない様で)。李膺・陳蕃を復帰させるのも当然でしょう。そして、宦官打倒の計画を練りますが、皇太后にはその意味が分からないまま、天文が乱れたその日、ついに!事件が! 話は変わり。今回、三国志を語る上では欠かせないあの男が、ついに登場します。「二つの弓袋を身につけ、馬を疾駆させながら、左右から矢を射る」あの男! 「へそに灯心をさされ火をつけられた」あの男! 「蒼天航路では、髪と鬚が矢印」の、あの男です! 今回の彼を語るキ−ワ−ドは、「羌」と「侠」。後に悪逆非道と呼ばれるその所業は、あるいは、抑圧され続けた羌族への思いの故か?というところが、含みを残します。 俗悪に描かれた演義。とにかく強烈な悪の存在感を示した蒼天。そのいずれでもない描かれ方が為されるのではないか。そんな期待が持たれます。 私事:「牛氏」での設定、要変更ですな…。
58:★ぐっこ 2002/12/12(木) 00:10 何いっ! もう今日でそこまでいくですか!? 第二次党錮が始まるのか…っていうことは!張奐たん主演まで秒読み! 李膺や竇武の子弟の脱出劇もあるでしょうね〜。楽しみ… で! いよいよ三国志の大物達が続々オンステージ! なるほど〜。単純な「悪」ではない描き方ですか…明日確認します!
59:左平(仮名) 2002/12/16(月) 22:06 実は、今月の文春には、宮城谷氏と白川静氏との対談も収録されています。お二方とも、大変な勉強家です。こんな事が、実にさらりと書かれています。 @宮城谷氏と白川氏が初めて会った時、宮城谷氏は、膨大なノ−トを見せ、白川氏を驚かせたそうです。そのノ−トには、白川氏の研究が細かく記されていました。…ところが、この時見せたノ−トというのは、実は一部。全部積み上げると、腰ほどの高さになるとか。 A以前の宮城谷氏は、結構テレビをよく見ていたそうです。しかし、白川氏の著作に出会うと、「三年、庭も見ず」というほどに読書されたそうです。座って読むのが長かった為、くるぶしに水(?)が溜まったとか。 B1960年代、大学紛争が各地でありました(東大・安田講堂の攻防などが有名です)。白川氏の在籍する立命館も例外ではありませんでした。当然、研究どころではないのですが…。そんな中、S教授の研究室は、いつも夜遅くまで明かりがついていたとか。こんな状況においても、研究を続けていたのです。S教授が誰であるかは、言うまでもありません。 この対談は、三国志とは直接の関係はありません。でも、連載中であるだけに、話の中でちょこちょこと三国志について触れられています。
60:★ぐっこ 2002/12/17(火) 01:04 [sage] うーむ…。 さすがというべきか…たとえば自分を省みて、そこまで何かに集中したことが あるか自問しても、まず思いつきませんねえ… 宮城谷先生本人も仰ってましたが、作家や研究者たる者、やはり超人的な偏執僻 あるいは執念、といったものが必要なんだなあと。 文才も大事ですが、それよりも大事なことが、最後までやり遂げること、だそうで。 その対談も面白そう…
61:左平(仮名) 2003/01/11(土) 01:02 ◆第二次党錮の禁 逆境の名士達 今回の宮城谷三国志◆ 前回から続き、竇武・陳蕃対宦官の対決から始まります。 人望厚い二人であるだけに、偽の詔書によって賊扱いされても、容易には屈しません。しかし、腐っても鯛、偽でも詔書は詔書。兵力差は広がり、ついに力尽きます。 張奐、よりによって竇武に引導を渡す役回りになるとは…。これで、名声も地に落ちてしまいました。出世はしても、これでは甲斐なしです。 二人を血祭りにあげたのみではまだ足りないか、宦官達による弾圧は続き、ついに、第二次党錮の禁、あるいは、宮城谷氏いわく「建寧の大獄」が始まってしまいます。 前回は助かった李膺・范滂達も、次々と獄死します。范滂と子との別れは、切ないものがあります。 こんな時代にあっても、清くあろうとする人々はいます。郭太【または泰】(字は林宗)がそうです。 彼の墓碑銘を書いたのは、あの蔡ヨウ【巛+邑】。劉備の師匠・盧植も登場します。 そして、いよいよ若き曹操について語られ始めます。
62:左平(仮名) 2003/01/11(土) 01:19 今日は、ちょっと残業してました。帰ってから食事をとって風呂に入ってたら…「りゅうぜんず」さんの方が、先に紹介なさってました。
63:★ぐっこ 2003/01/13(月) 12:01 とうとう二次党錮がはじまりましたかー! …って連載始まってどれほどの時間が経過したのか(^_^;) いまだに三国志の カケラもない…。 「先代の英雄」たちがあらかた舞台を去って、ようやく曹操達にスポットライトが 回ってくる様子。楽しみ〜。
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
★『宮城谷三国志』総合スレッド★ http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1035648209/l50