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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
61:左平(仮名)2003/01/11(土) 01:02
◆第二次党錮の禁 逆境の名士達 今回の宮城谷三国志◆
前回から続き、竇武・陳蕃対宦官の対決から始まります。
人望厚い二人であるだけに、偽の詔書によって賊扱いされても、容易には屈しません。しかし、腐っても鯛、偽でも詔書は詔書。兵力差は広がり、ついに力尽きます。
張奐、よりによって竇武に引導を渡す役回りになるとは…。これで、名声も地に落ちてしまいました。出世はしても、これでは甲斐なしです。
二人を血祭りにあげたのみではまだ足りないか、宦官達による弾圧は続き、ついに、第二次党錮の禁、あるいは、宮城谷氏いわく「建寧の大獄」が始まってしまいます。
前回は助かった李膺・范滂達も、次々と獄死します。范滂と子との別れは、切ないものがあります。
こんな時代にあっても、清くあろうとする人々はいます。郭太【または泰】(字は林宗)がそうです。
彼の墓碑銘を書いたのは、あの蔡ヨウ【巛+邑】。劉備の師匠・盧植も登場します。
そして、いよいよ若き曹操について語られ始めます。
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