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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
67:★ぐっこ2003/03/13(木) 23:10AAS
ああもう!はやく文庫本にならないのか!(←ハードカバーは?)
連載始まって二年ちかくなりますが、やっとこさ三国志演義のスタート
地点に…。
楊震にはじまった物語は、さて誰で終結するのやら…
宮城谷氏は存外キャラの最後をサクッと端折ることが多いので、どの人物
省7
68:左平(仮名)2003/04/10(木) 23:42AAS
◆黄巾の乱 途中経過? 今回の宮城谷三国志◆
今回、遂に黄巾の乱が勃発します。このあたりの経過は、比較的淡々と書かれています。ただ、最初に「潁川郡は賢者を生む」みたいな事も書かれているのは、後につながるのではないでしょうか。
それはそうと、ちょっと驚く事が。
黄巾の乱の鎮定には劉備も加わっていた様で、曹操や孫堅ほどの目立った活躍はしていないのはまぁ承知しております。しかし、「劉備が関羽・張飛を左右に従える様になったのは黄巾の賊の蜂起から四年ほど後とみるのが無難である」とは!!上記の文章は、立ち読みの流し読みであるだけに多少の誤記はあるにしても、初耳です。宮城谷氏の事ですから、しかるべき資料があるのでしょうが…一体何にそういう記事が…。
省8
69:★ぐっこ2003/04/11(金) 00:45AAS
やや、もう文春の頃ですか〜!
といいますか、劉備が関羽・張飛を左右に従える
様になったのは黄巾の賊の蜂起から四年ほど後
とみるのが無難である
わたしもコレ初耳ですわ! 当然、それなりの根拠ないし考察を経ての
省11
70:左平(仮名)2003/04/11(金) 23:22AAS
いや、董卓の存在が重いというのは、私の見る目の偏りもあるのかと思います。現在、「牛氏」を書いてて多分に意識しているところですので。
とはいえ、「それゆえかれは戦場へはいそがない」ってな書かれ方をするあたり、どうなのでしょうか。
割とさらりと書いてる様でも、よく読むと、やはりしっかりと書かれているのが分かります。張角は天を祀り(事実上)皇帝を自称したとか、波才対皇甫嵩・曹操の戦いにおける猛火を指して「これほど幻想的な戦場はない」という様に表現したり。
そういえば、今週の蒼天で、後姿で描かれた半裸の男って、ひょっとして張角ですか?
71:もす2003/04/13(日) 04:04AAS
>劉備が関羽・張飛を左右に従え…
えっと、ちょっくら調べたところ、それらしいモノが。
いや、それらしいとしか言えないんですが。(^^;
黄巾が蜂起したのが中平元年、184年のこと。
省12
72:左平(仮名)2003/04/13(日) 19:51AAS
もすさん、ありがとうございます。そういう伝承があったのですか。
しかし、以前の「三国史記」といい、さすがは宮城谷氏といったところですね。そういえば、ちょっと前に引っ越しなさったとか聞きました。なんでも、書庫が手狭になった為だとか。
今回の「週刊新潮」にありましたが、故・司馬遼太郎氏が作品を書こうとする時、トラック一台分の古文書が神田から運ばれたなんて言われたそうです。
プロは凄い…。
73:★ぐっこ2003/04/13(日) 22:44AAS
>>71
もす様、情報さんくすです!なんと!むかし「関羽伝」図書館で借りたことがありますが、
前の方の伝承は読み飛ばしていたなあ…
黄巾の蜂起から4年後となると、とうぜん黄巾の乱自体は終焉をむかえ、ほとんど残敵掃討
の状況かと。翌年に董卓が政権を乗っ取る時期すから、地方行政はもう分裂しまくって機能
してないような状態だったかも知れませんね…。
省22
74:もす2003/04/15(火) 05:46AAS
どもです。憶測のようなことで恐縮ですが…(^^ゞ
最初は188年の事例を見て、
「もしや、劉焉が蜀に行ったヤツか?!」などと不遜なことも考えてしまいました(笑)が、
何らかの情報があることは確かなようです。
実際に中国に行って、そういった史料を探索してみたいものですけどねぇ。もっと懐を暖めないと…(;^_^A
省10
75:もす2003/04/15(火) 06:02AAS
そういえば、大事なことを忘れていました。
⇒左平さん
宜しければ、私めの掲示板でご相談にのっていただけないでしょうか?
諡号について話題が出たのですが、恥ずかしながら、今一つ説明できなかったもので。(^^;
ご無理でしたら、書籍名等だけでも教えていただけると助かります。
省8
76:左平(仮名)2003/04/16(水) 00:18AAS
先ほど、書き込んでおきました。
諡号というのは、なかなか興味深いものです。結構いろいろなニュアンスがありまして…。
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