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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
99:左平(仮名) 2003/11/11(火) 00:18 今回、曹操が挙兵します。 彼は、董卓の招聘を拒んで去ります。董卓は立腹しますが、袁紹に対するそれとは やや異なる様に描かれています(曹操の人となりに立腹したのではなく、単に自分の 招聘を拒んだという事実に対しての立腹)。 史書の中に見られる、逃亡中の記述。陳舜臣氏も語る様に『演義』みたいな事件は なかった様ですが…。そもそも、その逃亡自体が百二十里ほど=行程四日程度(そして、 董卓からの手配の通達が行き渡るのに数日。役人はまだしも民衆は知り様がない)なの だから事件自体発生しようがない!という指摘。またしても、意外な指摘です。 衛茲の支援を受け、旗揚げした曹操は、張孟卓(名のバクって出ないんですよね)・ 張超、鮑信・鮑韜の各兄弟達とも合流し、徐々に勢力を培っていきます。 曹操の器の大きさが、そろそろ衛茲や鮑信の口から語られています。 曹操の矮躯に失笑が漏れるのに対し、晏子・孟嘗君の例が語られる(二人とも矮躯) というあたり、宮城谷作品ならではという感じがします。 袁紹・袁術の影は薄い一方、張超のもとにいる臧洪の存在が大きいです。なるほど 正史にも伝があり、記述はそのとおりなのですが…。 やはり、劉備・曹操との絡みがほとんどないせいでしょうか。
100:左平(仮名) 2003/11/11(火) 20:56 昨日は、ちょっと流し読みだったので、補足。 その逃亡自体が百二十里ほどというのは、洛陽から、呂伯奢事件のあったとされる 成皋までの距離でした。 なるほど、手配の通達が役所に届くかどうかという段階では、そして曹操がそういう文書の 流れを理解しているのであれば、『演義』でいう様に疑心暗鬼になるはずもありません。 また、この時曹操は「兵は多ければ多いほどよいとは限らない」という様な事を言ってるとか。 と、なると…募兵に苦労したというイメ−ジもちょっと変わる?のかも知れません。 そして、袁紹らが合流する前の段階で、張バク【辶+貌】らは盟約を交わしています。しかし、発起人とも いうべき曹操は、無位無官を理由にその場にはいません。臧洪伝の記述はその様になっていますし、武帝紀 にはそのあたりの事ははっきりとは書かれていませんから、おおむね事実の様です。 蒼天などの他作品と比べると、宮城谷曹操、やはり異質です。
101:★ぐっこ 2003/11/12(水) 00:30 しまった、先月も今月も読んでなかったΣ( ̄□ ̄;)!! むう、話はいよいよ曹操の挙兵に! これは読まねばならん… ていうか私密かに衛茲が漢らしくて好きだったり。楽しみ〜
102:★ぐっこ 2003/12/10(水) 22:42 二巻連続で読んだ! 何故か前巻があったので、併せて立ち読み。 個人的には、もうちょい董卓のキャラクターをネバっと書いて 頂きたいところですが、それでも各地の群雄の思惑カコイイ! 志摩子張邈さまが凡庸扱い…(´Д⊂ いや、実際張邈さまにしても 袁紹さんにしても、平時の「宮廷内政争」レベルでは時代を叱咤する俊英、 乱世になると途端に尻つぼみになるタイプと見たり。 当時なお歴史を変えうる位置に居る皇甫嵩も、あっさりと董卓と和解。 というか、董卓=朝廷となった時点で、皇甫嵩の概念では「従うのは当然」 に近い状況だったんでしょうねえ…。良くも悪くも漢朝に囚われすぎた老将軍 でした…
103:★ぐっこ 2003/12/10(水) 22:44 あと、鮑信と鮑韜兄弟もよかったなあ…。 曹操の初期の盟友。もし二人とも生きていれば、どれほど曹操の 元で活躍したか…。 でも鮑信も武官とは言え、筆より重いモノを持たない純文官タイプだったはずで よくぞ負傷するまで奮戦したものと。 衛茲の場合は忘れ形見が立派に成長して名声を博しましたが(終わりイクナイ)、 鮑兄弟の子供の事績ってありましたっけ?
104:左平(仮名) 2003/12/10(水) 23:37 おっと、先に書かれちゃいましたね。 ちょっと、年末年始に出すハガキを作成してたもので、こちらに 来るのが遅くなっちゃいました。 概要は、まさにぐっこさんの書き込まれたとおりですね。 この時点では、鮑信の方がむしろ冷静なくらいってのがまた。 >鮑兄弟の子供の事績 って、いるではないですか!鮑信の子の鮑kが!というか、正史の三国志では 鮑kの伝にくっついて鮑信の事が載ってるくらい! それはそうと、お世辞には弱いのに戦略眼はなかなかのものを持つ董卓、結構 絵になる描かれ方ですな。張邈・袁紹が見劣りして映るだけになおさらです。
105:★ぐっこ 2003/12/10(水) 23:56 忘れてた!(;´Д`)スコーンと。 なんか盧植の息子といい衛茲の息子といい、みんな似たような キャラだなあと。 宮城谷董卓は、能力はともかく、その思考が意外に普通で、かえって 味があるんですよねえ…。そして、自分がそれほど嫌われていると思って ないあたり。あと、伍瓊たちを斬ったのを後悔してるところとか。
106:左平(仮名) 2004/01/10(土) 23:40 さて、徐栄の前に大敗を喫した曹操は、曹洪に馬を譲られ、悄然とした面持ちで撤退します。 周ウらの協力を得て募兵には成功したものの、叛乱を起こされ、かえって減ってしまう有様です。 しかし、この勇戦が彼の存在感を示す事になります。 それにしても、この周ウ・周グ【日+禺】の兄弟、ここで曹操の器を見出してるのに、その後が冴えないんですよね…。周グ【日+禺】に至っては、『(将としての力量には乏しくないのに)死ぬまで負け続けた』なんて言われてますし。 募兵に携わっていたのに夏侯惇・曹洪・史渙の名が挙がっていますが、曹仁(168生)・夏侯淵の名が出てません。年齢的には、夏侯惇≒曹洪>夏侯淵≒曹仁ってな感じなのでしょうか。 しかし、袁氏の二人はもっと冴えません。いかに董卓に牛耳られているとはいえ、朝廷の命を受けて派遣された名士達(韓融・陰脩・胡母班…)を処刑したりしてます。 (韓融が、陰脩に逃げる様勧める際に、夏姫と巫臣の名を出してるのは、宮城谷作品だからでしょうか) そして、この有様をみて荀揩ヘ袁紹を見限ります。 袁紹は、進むもならず退くもならず、劉虞を擁立しようとします。ただ、これはいかにいっても弥縫策にすぎません。あの袁術でさえ、これにはまっとうな批判の書状を出してるくらいです。 さて、次回は、精強な董卓の軍団を打ち破る勇将が登場するはずです。楽しみ!
107:★ぐっこ 2004/01/14(水) 00:34 読んだ!( ゚Д゚) あーーー! なんかいい感じにこじれてきてますねえ、袁紹陣営。 鮑信出っぱなし(;´Д`)ハァハァ…個人的には張邈さまがアレなのがアレですが、 でも曹操裏切る伏線だからしようがないか… あとは袁紹のキテレツっぷりもいい! 胡母班さま達を殺させる狭量っぷりが また! 明らかに若い頃の鷹揚さが無くなり、どんどん変になっていっている ようですやねえ。
108:左平(仮名) 2004/02/11(水) 18:12 さて、遂に「無敵と思われていた」董卓の軍団を打ち破る男−孫堅−の登場ですよ! 当時の彼は長沙太守。数万の兵を集められる立場という事からすると、曹操より恵まれた立場 ではあるのですが、それを差し引いても快挙です。 挙兵に際し、王叡・張咨を殺害してはいますが、彼の履歴を汚すには至りません。 かえって、これによって袁術を恐れさせ、軍糧を得ています。 しかし、袁術自身は動きません。一緒に動いていれば、袁紹を出し抜く事もできたのにねぇ…。 序盤、徐栄に苦杯を喫しますが、祖茂の活躍もあり難を逃れると、胡軫を破り華雄を斬ります。 孫堅を恐れた董卓は懐柔工作を試みますが、これを突っぱねると、直接対決を迎えます。 (徐栄、こうしてみると曹操・孫堅に勝ってるんですね。いまいち無名ながら、実は大変な名将では?) 董卓は騎兵の機動力を活用し、擬兵を以って欺こうとしますが、これを完全に看破。董卓が陣を構築する 間も与えずに総攻撃をかけます。 もっとも、ひとたび劣勢をみてとると、董卓はすかさず撤退します。このあたり、無駄な戦いによる 消耗を避けるという怜悧さが見て取れます。 董卓の撤退後、呂布と孫堅が干戈を交えますが、呂布の武勇を以ってしても、孫堅には届きません。 というか、呂布の武勇が全く目立たない!それほどまでに、孫堅の名将ぶりが際立っています。 洛陽入城後、孫堅はある発見をします。皆さんご存知の、玉璽です。 孫堅が洛陽に入ると玉璽が光(気といってもいい?)を放ったという事は…彼の家が帝室になると いう事か…。この噂を聞きつけた袁術が孫堅の妻を人質にとり、孫堅が戻ったところで今回は終わり。 …空想ですが、もし、袁術に見る目があったなら…。孫堅を立て、新政権を打ち立てる事もできたの では…。もっとも、彼が人の下につく事ができれば、の話なのでまぁ実現可能性は0なのですが。
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