★『宮城谷三国志』総合スレッド★
111:左平(仮名) 2004/03/11(木) 21:23AAS
今回書かれた袁紹と袁術の争い、もう少し詳しく書くと…。

反董卓連合が為すべき事も為さずにいる様をみた劉虞は、朝廷(≠董卓)に対する忠勤を示すべく田疇を派遣。

田疇は、「状のル−トをとり、長安へ(幽州から西に向かい、そこから一気に南下。争乱の中にある中原を避けた)。

省26
112:★ぐっこ2004/03/12(金) 00:46AAS
文春も読みこぼしたか…早く読まなきゃ…
113: 左平(仮名)2004/04/10(土) 14:07AAS
気がつくと、もう連載開始から三年。それで、今回のタイトルは『界橋』。皆さんなら、このタイトルでどのあたりの時期か見当がつくでしょう。先はまだまだ長い…。

遷都した長安において、董卓は思うがままに振る舞います。名将・皇甫嵩と和解(史書の記述を見る限りでは、不思議なほどこの経緯が穏やかなんですよね。皇甫嵩からすると、董卓は叔父の妻の仇のはずなんですけど…)した事と反董卓連合の分裂もあり、もはや恐れるものはなし。親族を次々と高位につけ、爵位を乱発し、自らを「尚父(太公望)」にしようと画策…。誰も止められないのか、と思いきや、蔡ヨウ【巛+邑】が懸命に諌言し、幾許かでもその暴走を留めております。彼の覚悟のほどについて言及したのって、宮城谷三国志が初めてでは?
正面から董卓を匡すことが出来るのは彼一人ですが、董卓を害せんとする毒は別に…。

一方、北に目を転じると、袁紹と公孫サン【王+贊】とが争っております(きっかけは、前回語られた、公孫越の戦死)。そんな折、異相の男が公孫サン【王+贊】のもとを訪れます。そう、劉備玄徳(←公孫サン【王+贊】のせりふの中で、一回こういう言い方をしてます)の登場です。黄巾との相次ぐ戦いに疲弊した感のある彼でしたが、ここで、名将の器との出会い、華々しい勝利があります。曹操と同様、着実に成長しつつあります。
省9
114:★ぐっこ2004/04/15(木) 00:23AAS
見た( ゚Д゚)!
今回は、いよいよ本格的に三国志っ! サリゲに趙雲出てるのも
いいですが、やはり公孫瓉の格好良さが!田楷の地味さが!
宮城谷袁紹は、どうにも救いようのない狭量・狷介な小人ですが、
それでも界橋では漢を見せてたなあ…

省9
115:左平(仮名) 2004/05/10(月) 23:53AAS
今回のタイトルは「兗州」なのですが…実際には、孫氏を襲った悲劇と、その後の試練が主題といった感じです(勿論、兗州の
事もきちんと書かれてますよ)。

前回の最後に記されていた「思いがけない死」とは、孫堅自身のそれでした。袁術に愛想をつかしながらも、その指令をうけて
劉表と戦っている最中の出来事でした。(見方を変えれば)思いがけない殊勲を挙げた黄祖については、「劉表の軍事がまずく
ないのは黄祖の武列による」という記述があり、ん?という感じ。
省23
116:★ぐっこ2004/05/13(木) 00:05AAS
うーん、孫堅死す! 劉表の軍事的な成功の影には、常に勇将・黄祖の
武勇があったわけで。それでも黄祖では孫堅に太刀打ちできなかったあたり、
格の差がありましたやね。

今回はけっこうペース早し。それだけ多くのことが短期間に集中したのかな。
孫策の挙兵もはじまってるし…
省8
117:左平(仮名) 2004/06/10(木) 21:52AAS
おっとと…結構下がってますね。

前回が孫堅の死でしたから、今回は…?と思いましたら、タイトルは「鮑信」でした。
そう、兗州における曹操対黄巾の戦いが今回の主題です。
曹操の軍勢+鮑信の軍勢は約一万。これで百万と号する黄巾とどう戦うのか…と思いましたら、
なかなかどうして。見事なものでした。
省30
118:左平(仮名) 2004/06/13(日) 00:59AAS
↑鮑信の死に対し曹操が衝撃を受けるくだり、何分立ち読みでしたので、再確認してみると表現は幾分
違ってる(例:文王→正しくは武王でした)のですが…まぁ、こういうニュアンスでした。
曹操もさる事ながら、史書の記述に基づく比較的淡々とした記述なのに、鮑信の清冽さが滲み出てくる
様です。
119:★ぐっこ2004/06/19(土) 15:32AAS
とうとう鮑信死んじゃいましたねえ…
弟に続き、兄弟そろって曹操に殉じる形に。曹操の身代わりで死んだ、
ってエピソードを採用するかと思ったのに、意外。

とにかく、曹操の前半生を支え抜いた「同志」にして「友」。
生きていれば生きていたで、また別の悲運に巻き込まれそうな忠臣タイプではありましたが…
120:左平(仮名) 2004/07/10(土) 21:42AAS
まだざっとしか読んでないので何ですが…今回、遂に董卓の死が描かれました。

王允と呂布が接近したのは、二人とも并州の人であったという地縁から。まぁ、
それ自体は他の作品でも描かれてましたが、ちょっと違うところがあります。
それは、「董卓は既存の秩序の破壊者であるのに対し、呂布は既存の秩序の尊崇
者」という点。呂布は「飛将軍」と呼ばれますが、李広の如く、漢の将軍として
省19
1-AA