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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
117:左平(仮名) 2004/06/10(木) 21:52 おっとと…結構下がってますね。 前回が孫堅の死でしたから、今回は…?と思いましたら、タイトルは「鮑信」でした。 そう、兗州における曹操対黄巾の戦いが今回の主題です。 曹操の軍勢+鮑信の軍勢は約一万。これで百万と号する黄巾とどう戦うのか…と思いましたら、 なかなかどうして。見事なものでした。 少数ゆえの機動性を生かして奇襲をかけ、大量の捕虜を得た曹操は、彼等に対し熱弁を振るいます。 「民を虐げたくはなかろう」と(王朝が民を虐げると言って叛旗を翻しても、明確なビジョンのない 黄巾もまた、結局は民を虐げる存在でしかない。また、いくら「平等」と言ったところで、やはり 上下の別はある。ならば、自分のもとで正道に立ち返らないか、とまぁこんな感じ)。 これに感じ入った兵達が曹操に仕えていき、いわゆる「青州兵」に至っていきます。 はじめは別に動いていたものの、行き詰まりを感じて曹操のもとに参じた曹仁は、そんな曹操の姿に 感化され、悍馬から駿馬への変貌を遂げつつあります。また、程G・毛玠も曹操のもとに参じ、その 勢力は確実に充実しつつあります(名前だけですが、曹純・曹休・曹真も登場します。曹休、この頃の 登場となると、蒼天での姿はちょっと若すぎる気がしないでもありません。まぁ、蒼天での登場を四十 手前くらいにみれば何とか、というところでしょうか)。 しかし、多くのものを得た一方で、喪ったものもまた、大きいものがありました。そう、鮑信の死です。 その死に様自体ははっきりしません。なにしろ、その部隊は殆ど全滅に近かったのですから。 捕虜を釈放する際にその遺骸の捜索を依頼したという一事をみても、その衝撃の深さが伺えます。 「『湯王に伊尹あり、文王に太公望あり』という如くに『曹操に鮑信あり』と言われる日を夢見ていた」 「天はわたしに丕業をさせないのか」 「独りでゆけという事か…」 曹操にとっては、恐らく生涯でただ一人の、二度とは得難い真の『友』。その死は、残された者にこそ辛い ものとなりました。 …さて、何か忘れてはいませんか?そう、董卓はあれからどうなったのか? 彼が死んだ事は、ひとまず触れられました。しかし、その経緯は、次回以降に。 (王允に、既に呂布を味方にしている様な台詞が。一体、どうやって?)
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