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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
130:左平(仮名) 2004/10/11(月) 18:00 今回は、普段の連載に+αがあります。「曹操と劉備 三国志の世界」と題された随筆です。 まず、「三国時代」の定義と参考文献。といっても、ここで挙げられているものの多くは、 三国迷であれば必読レベルかも知れません。「三国志全人名事典」も挙がってます。 続いて、「組織の創立者の与える影響」。光武帝による皇后の廃立は、必然的に皇太子の 廃立も伴ったが、それは王朝を不安定にする遠因であった。また、内朝(後宮、宦官等)が 権力を握った結果…。 さらに、後漢末の諸勢力の概要。「三国漢季方鎮年表」というものがあるそうです。 そして、メインテ−マ。 @西暦190年代前半の状況について言うと、関東においては袁紹と袁術が対立しているという のは既出ですが、「この時点においては」彼らのスタンスは微妙に違っていたとしています。 「自身が新王朝をたてるという野心をあらわにしている」袁紹に対し、「漢室を尊重する様に 振る舞う(本心は袁紹と同じ)」袁術という図式です。その故、「勤皇の士」であった呂布は、 当初袁術を頼ろうとするが…と。 また、袁紹の限界を示す具体的な事例として、韓馥の悲劇を例示しています。 Aそして、タイトル通り、曹操と劉備の比較です。「曹操は〜不羈の人とみられるが、実は、 妥協を重ね、己を殺してきた人である(彼が多くの敵を許したのは、相手が『社会的に有益な 人物であるから』)」。自身を公的立場に置かざるを得なかったが故、としているあたり、 『蒼天航路』とは全く違う観点で曹操をみている事が分かります。 一方、劉備は、字の『玄徳』が示す様に、道教的な側面を強く持つ人物である、とします。何 よりも「劉備は劉備である」事を重んじ、融通無碍。それ故、儒教的には、呂布の方がよほど まともであった…と。 一方で、歴史的にみれば、劉備の様に融通無碍である方が、本来戦いには強いものだが…という あたりの指摘がまた、興味深いものがあります。 この時代の面白さってのは、案外、そういうところにあるのかも知れません。 そして、待望の第一巻の発売日は、10月14日(木)だそうです。
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