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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
169:左平(仮名) 2005/12/11(日) 21:59 今回のタイトルは「逐勝(勝ちに乗じて進む)」。 前回ラストからの流れのとおり、ついに呂布の命運が尽きる時が来ました。 …しかし、それは、予想以上に呆気ないものでした。 姻戚でもあった魏続に陳宮を拉致され、高順ともども、もはや為す術もなく 捕えられたのです。 呂布の軍事的才能は曹操にとっても魅力的ではありましたが、劉備の一言に よって引導を渡されます。そして陳宮は、この時点ではもう呂布に心服して いないにも関わらず、ただ曹操に対する意地から、自ら死を選びます。 この場面、曹操の方が未練たっぷりです。 この時曹操が得た人材として、袁渙、陳羣、それと復帰組の畢獅フ名が挙がって います(ここでは張遼には触れられていません)。 これで一つ厄介な敵を片付けた曹操。そんな矢先、河内に異変が。張楊が、 配下によって殺害されたのです。 勤皇の士にして温厚篤実な張楊は、呂布と親しく、陰ながら声援を送って いたのですが、もはや呂布の命運は尽きており、将来に不安を抱いた楊醜に よって…という経緯。 もっとも、楊醜もまたすぐに眭固に殺され、河内の情勢は流動的に。曹操、 この状況を逃さず、直ちに攻略にかかります。 ここは董昭の巧みな説得により、無血開城となります。そして、ここの太守 に任ぜられたのは…魏チュウ(禾+中)。 今回、曹操が才を重んじた例として語られる二人が揃い踏みという具合です。 もっとも、魏チュウ(禾+中)については、単に才能のみではない含みも。 一方河北では、ついに公孫瓚が最期を迎えます。…もうズタボロです。痴呆に なり妻子を手にかけて…というあたり、白馬義従を従えた頃の面影はいずこに ありや、ってな感じ。 彼に殉じた関靖、最期はきれいだったけど…こちらも酷評されてます。 いよいよ曹操vs袁紹というわけですが…何事につけても動きの鈍い袁紹、既に 後継者問題も絡んできて、課題は多し。 そんな中、突然の袁術からの使者。それは、袁術の破綻を示すものであったのです が…
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