★『宮城谷三国志』総合スレッド★
172:左平(仮名) 2006/02/12(日) 19:55
今回のタイトルは「対決」。いよいよ、官渡の戦いに突入します。興味深い記述が多く、
金曜に一度読んだのですが、再度読み直しましたよ。


まずは袁紹側の動き。このような非常時にあっても、この陣営の宿痾とも言うべき派閥
抗争(と言っても郭図が一方的に沮授を嫌っているという感じ)が生じています。
しかし、双方の主張を聞いてみると、実は両方に理があるという不思議な状況でもあり
ます。
この時主戦論を唱えたのは郭図・審配、慎重論を唱えたのは沮授・田豊なのですが…実
のところ、曹操が脅威であるという意味では同じ認識に立っているのです(慎重論者は
公孫瓚との戦いで疲弊した河北の回復を待つべきであると主張。一方、主戦論者は、曹
操がその間に何も手を打たないはずはない【故に機先を制するべし】と主張します。兵
は拙速を聞くも〜ということを考えると、果たして、どちらが良かったのか迷うところ
です)。
結局は、どちらの論をとるにしろ、袁紹は明確な決断を下すべきであった。ぐずぐずと
決断を下すのが遅れたため勝機を逸した…というところです(内心では曹操との決戦を
望んでいたのに行動はちぐはぐになっています)。
これ、職場ではヒラの私にも痛い指摘ですね。ましてや組織の頂点に立つ者であれば、
なおさら堪えるかと。


逡巡の末に出師を決めた袁紹。しかし、それにあたって諌言を呈した田豊を投獄すると
いう愚を犯します。彼らの忠誠心は疑いようのないものなのですから、いざ決戦となれ
ば、慎重派といえども勝つ為に最善を尽くすべく尽力するというのに…。

ともかく、河水を挟んで両者は対峙します。そして、白馬の戦い。
関羽・張遼vs顔良。名だたる勇将同士の夢の競演…というところですが、実はそうは
なりませんでした。しかし、これまでの三国志とはまた違った描かれ方で、そこがまた
何ともたまらない名場面なんです。
呂布の描かれ方もそうですが、ここでの関羽、イメージががらっと変わりますよ。いつ
の間にこのような変貌を遂げてたの、ってな感じで。義に篤い勇将というだけでなく、
少なからぬ知性も感じられます。
あの項羽にも劣るまい、ってな賛辞はちょっとニュアンスが異なる様な感じはあります
(項羽というより…生還した専諸の方が近いかな)けど。

長くなったので、続きます。
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