下
★『宮城谷三国志』総合スレッド★
159:左平(仮名) 2005/04/12(火) 01:00 ちょっと以外な人物にスポットが当たりました。今回のタイトルは、「楊奉」。 樊稠亡き後、李カク【イ+鶴−鳥】・郭レの争いが激化し、愛想を尽かした天子は、 ついに東帰の意思を示します。 張済の仲介などもありつつ、天子一行は徐々に東に向かうのですが…なかなか一筋縄 にはいきません。 董卓死後、ひっそりと暮らしていた段煨を頼ろうとすると、仲間割れみたくなるわ、 李カク【イ+鶴−鳥】・郭レの追撃に遭い、公卿達にも多数の戦死者が出るわ…。 ただ、時に失敗しながらも、ここでの楊奉、なかなか格好いい存在になってます。 この段階では、天子の存在はもはや災いの元みたくなっており、現に、楊奉が昔の 縁で助力を仰いだ白波の賊(とはいっても李カク【イ+鶴−鳥】・郭レ達との戦い では彼らが官軍みたくなるという逆転現象も発生)等は、「天子を奉じて東に向かう のは賢い選択とはいえない」という様な忠告もしています。 しかし楊奉は、敢えて義によって、という立場をとり続けます。もし、彼に政治的な 知見を持ったブレイン(たとえば賈ク【言+羽】とか)がついてれば、また違った展開 もあったのでしょうか。 そんな気にさせられる回でした。
160:左平(仮名) 2005/05/11(水) 22:31 前回から場面は変わりまして…今回のタイトルは「孫策」。 前回、天子がなかなか動かなかった理由として、各地にいる実力者のうち、勤皇の志のある 者を頼ろうとした…というのがいわれていました。 今回は、その候補の一人であった袁術のところから始まります。 とはいえ、彼には既に勤皇の志などありません。むしろ、現状をみて覇を唱えようという 具合です。 群臣達にはその無謀さが分かってますから、主簿の閻象は諌言し、名士・張範(三弟の名は 張昭。といっても彼らは河内の人なので呉の張昭とは同名別人)も徳を積む事を勧めます。 でも、もはや聞く耳を持ちません。 そんな中、孫策はそのもとを去ります。袁術のために働きながら報われないのに 嫌気がさしたのです。 袁術は孫策の才略をみず、古参の者【…自分のために働いた者】を重用しました。 それは、自らの王朝をという野心とは裏腹に、新時代を作れる器ではないという ことを示すものであった、ということですから、何とも皮肉な話です。 一応の了解は得たものの、ろくな手勢もないまま飛び出した孫策でしたが、ここから 奇跡とも言うべき快進撃が始まります。 劉繇との戦いにおける鮮やかな勝利(もちろん、対笮融戦もあり。ここでの笮融は、 いわば小型の李カク【イ+鶴−鳥】と評されています)、ともに美貌を持つ親友・周瑜 との再開(容貌は孫策>周瑜という評価)…。なるほど、いろいろな意味で絵になる回 です。
161:左平(仮名) 2005/06/11(土) 01:12 今回のタイトルは「素志」。 張超を滅ぼし、ようやく兗州平定に成功した曹操は、天子を迎えることを考えます。 ただ、当時の情勢は、まだまだ微妙でした。というか、既に公孫瓚を追い詰め、河北の 派遣を握りつつあった袁紹が選択を誤らなければどうなっていたのか、というところ。 (今回の時点では公孫瓚はまだ生きてますが、もう抜け殻みたくなってます) 当時の彼のもとには沮授という偉材がおり、曹操(とその幕僚達)と同じく、天子の 迎立を考えていました。 しかし、袁紹は聞く耳を持ちません。沮授の意見に反対した郭図を派遣し、天子の周囲 を探らせたのですが、その結果、郭図も天子の迎立に賛成の立場になると、それらの意 見を無視します。 軍事に冴えを見せた公孫瓚との戦いという逆境にあってはそれなりの輝きを見せた袁紹 ですが、ひとたび順境に立つと、緩んできた様です。 彼もまた、己の野望の為に乱世を望みながらも、その器は乱世には向かなかったという 悲喜劇を演じることに…。 そして、今回のラストあたりで、ついに曹操は天子を迎えることになります。この時の キーパーソンは、またしても張楊。呂布とともに篤い勤皇の志を持つ彼ですが、天子の 行く先が見えると、静かに去りました。 …何というか。かなりの大物の雰囲気です。袁氏の二人よりもはるかに大きいのですが …なぜ、これほどまでに野心を持たないのか。むしろ、ちょっとくらい持った方がいい のに、といらぬ心配をしたくなるくらいです。
162:★ぐっこ 2005/07/06(水) 01:54 ようやく私も読みましたよー。ちょっと前でしたけど…。 私的に失念してたのは郭図の立ち回りだったり(^_^;) 彼も一廉の男だったという再認識したり。 袁紹は結局、衆議にかけるくせに自分の意見を押し通す癖 があるタイプで、本当に読めば読むほどウチの社長に似てる と思ったり(^_^;) さだめし私は郭図あたりか。 張楊は行動が爽やかなわりに存在感が地味なんですよねえ…(^_^;) あと、董承の渋さに萌えた(*´ヮ`) そこまでするか!というくらい せこくてダーティなところがイイなあ…。コイツ曹操暗殺してどうする つもりだったんだろ…
163:左平(仮名) 2005/07/08(金) 23:44 今回のタイトルは「新都」。まだ8日ですが、10日が日曜日だからか、もう文藝春秋が出てました。 電車の時間があったのでいささか流し読みですが、↓こんな感じの回でした。 ついに曹操が天子を迎えます。この時仲介に入ったのが董昭。袁紹のもとを去ってからいろいろあった わけですが、本作の董昭、なかなかの大物キャラですね。 董昭もれっきとした勤皇の士ではありますが、志は貴いけれど惜しいかな政治手腕に欠けた楊奉とは違い、 その現状認識は非常にしっかりしています。 現状は、ありていに言えば「周の襄王の御世に似ている(※作品中、そういう言葉があったわけではあり ませんが、曹操を晋の文公【重耳】にたとえているのを考えると、そんなふうに思いました)」。 曹操もまた、それに近い認識を持っています。なので、曹操は、天子に甘い庇護者ではありません。 それにしても、政治的力量は董承>楊奉(曹操などからみると実に低いレベルですが)に対し、勤皇の 志は楊奉>(越えられない壁)>董承という図式は面白いですね。元白波賊の故、とかく低く扱われがち だった楊奉ですが、1800年以上の後に、思わぬ栄誉に与った形です。 「三国志]T」の顔グラが格好よくなったり「義理」の数値が上がったりして。 ただ、ともに勤皇の志を抱く者であっても、その想いにはずれがあります。 すっかり荒廃した洛陽の有様をみて、曹操は許への移動を行うわけですが、たとえ廃墟ではあっても 天子は洛陽に想いを残しているというのを知る楊奉は、それを専横とみなして戦い、そして敗れると いう事態に至ります。 張楊もそうですが、ちょっと切ないものがありますね。 後半は、荀攸、鍾繇、それに郭嘉も登場。曹操のもとに続々と人材が集まってきます。 そんな曹操のもとにやって来た、腕長耳デカの男。次回、この男が波乱を呼ぶ…?
164:★ぐっこ 2005/07/14(木) 01:20 立ち読みしましたー(*´ヮ`) 相変わらず、宮城谷三国志読んでると、自分の不勉強つうか、この 献帝周辺の人物に対する無関心さが恥ずかしくなってきますね… まさか楊奉や韓暹あたりが、質朴な勤皇主義者だったとは思っても いなかったわけで。 ( ゚д゚)ハッ! それで光栄三国志シリーズの楊奉はやたら格好いい訳か!? 張邈と顔交換してるけど…こっちの楊鋒だっけか。 腹黒くい董承も新たな魅力がプンプン。早く四巻でないかな〜(*´ヮ`)
165:左平(仮名) 2005/08/10(水) 23:13 今回のタイトルは「張繍」。とはいえ、今回は、曹操のもとにやってきた異相の男−劉備から始まります。 「英雄、英雄を知る」と言いますが、曹操の前に立つ劉備の姿は、英雄には遠く見えました。程G・郭嘉がともに 「劉備は英雄である」と評し、曹操自身、現時点の劉備は斉の桓公のもとに身を寄せた晋の文公の立場に似ている と感じつつも、いまひとつ実感が湧かない様子です。 これって、いわゆる「岡目八目」ということなのでしょうか。曹操が英雄であるが故に、同じく英雄である劉備の 持つ何かに気付かない。英雄でない程Gや郭嘉にはそれか見えた…。 一方、南に目を転ずると、張済が亡くなり甥の張繍がその軍団を引き継ぎました。彼は、曹操と比べるとやや器量 は劣るものの、自らに何が足りないかは自覚しており、それを補う者−賈ク【言+羽】を招きます。 そして、天子を擁した曹操は、周辺のうち、最も弱い部分である宛にいる張繍に狙いを定めるのですが… ここで、賈ク【言+羽】の知略が発揮されます。まともに戦っては劣勢は明らか。となると、手段は一つ。 そう、奇襲です。 いったん降伏した後、一挙に本陣を衝く。事実、この策はあたり、曹操は嫡男・曹昂を失うという大敗を 喫することに。 …ただ、ここの流れについては、二つの理由により、えらくすっきりしたものになってます。 一つは、典韋が名前すら出てこないこと。 もう一つは、張済未亡人と曹操との××な関係に触れられていないこと。 なせ触れなかったのかはよく分かりませんが…ただ、それだけに、「何故曹操ともあろう人 がここでかくもあっさりと大敗したのか?」という感がよりいっそう強くなります。 そのショックも覚めやらぬ時に、袁紹からの無神経な書状。まさかそれだけのせいでもない でしょうが、曹操、ついに打倒袁紹の思いを明らかにします。さて、次回の展開は…?
166:左平(仮名) 2005/09/18(日) 19:53 今回のタイトルは「僭号」。袁術が帝位を僭称しました。 人の感情を逆撫でするが如き書状を受け取った曹操ですが、客観情勢はかなり不利。曹操自身、打倒袁紹を考えた ものの、見通しは立たない状態です。 なにしろ、相手は既に河北の四州を制しているのに対し、こちらは二州。天子を擁してはいても、相手はその威光 など屁ほどにも感じていないのですからどうにもなりません(互いに憎みあってはいても、このあたり、袁紹・袁 術は似たもの同士)。 それに加えて徐州には呂布、涼州には諸軍閥。南はまだしも、三方から囲まれはしないかという恐怖があったわけ です。 それを救ったのは、荀掾E郭嘉、そして鍾繇でした。荀掾E郭嘉は曹操の美点と袁紹の失点とを挙げ勇気付け、鍾 繇は侍中兼司隷校尉として涼州の有力者である韓遂・馬騰を懐柔。さすがの曹操も、この時は、優れた配下達の威 徳に心底感心しております。 一方、徐州に目を転じると、呂布がその支配権を獲得する経緯が描かれます。ここでも、劉備は冴えません。迎え 入れた筈の呂布の気まぐれに翻弄されまくってます(まぁ、呂布に翻弄されまくったのは何も劉備ばかりではない んですけどね)。 そんな、一見すると何を考えてるのか分からない呂布ですが、曹操はその行動原理を見抜きつつありました。端的 にいうと、「我こそは漢の忠臣。我に逆らう者は皆逆臣」ということです。 …ある意味、ジャイアニズムの側面がありますね。ともかく、その故に、僭称した袁術と戦うことになります。 しかし、袁術、うまくいけば、孫堅(+孫策)・呂布という二大勇将を抱えていただろうに、という指摘は、なか なか面白いですね。彼の怠惰さが、自身のみならず呂布をも負のスパイラルに巻き込んだ…
167:左平(仮名) 2005/10/09(日) 00:03 うわ〜!せっかくの書き込みが消えてしまった〜!!…書き直し。 今回のタイトルは「高山」。今回描かれた具体的な事件のことという より、建安二〜三年の情勢を概観したタイトルの様です。 まずは、袁術僭号をうけての江南の情勢。 孫策は、袁術と絶縁し、攻める準備を進めます。しかし、こうしてみる と袁術の認識の甘さが分かりますね。この頃、孫策の勢力は既にかなり のものになってます。かつては身近におきその器量は把握していたはず。 その彼を敵に回すことがどれだけの損失か。ちょっと考えれば分かろう ものを。 もとの揚州刺史・陳瑀が孫策の隙を衝くべく厳白虎らとともに攻めようと しますが、あっさりと返り討ちに。その勢力はさらに広がりました。 孫策の苛烈さをみた曹操は、ひとまず融和策をとることとします。今しばらく は戦うべき相手ではないというわけです。 そんな中、袁術はまたもやらかしました。陳国に食糧があると聞くと高圧的な 態度でそれを求め、断られると王の劉寵と相の駱俊(駱統の父)とを暗殺した のです。 劉寵はやや野心家肌ではありましたが、武芸に秀で、国内の治安維持に成功。 駱俊はすぐれた行政手腕を持ち、国内をしっかりと統治。乱世にあって陳国 の平穏を守っていました。二人ともひとかどの人材です。 この頃、曹操はというと許褚や趙儼といった偉材を得ていたというのに袁術 は人材を失い敵を増やす。 あげくに、曹操の攻撃を受けると四将軍を見殺しにして逃走。袁術という人 は、後漢という時代の醜い点を凝集した感があります。 ただ、そんな存在は袁術ばかりではありません。その姻戚である楊彪もまた、 曹操からみると醜類の一人です。今回、直接の理由はよく分かりませんでした が、投獄されたのです。 宦官の孫の曹操に軽侮の目を向けるくせに董卓の力に屈した楊彪。曹操から すると、そんな彼に良い感情を持てるはずもなく。 これがあの楊震の曾孫か。こいつは四知という言葉を理解しているのか。血は 受け継がれても志は受け継がれるとは限らない。 彼らの振る舞いは、いわゆる名士の限界を示しているわけでもあるんですよね。 後半は、群雄達の最期が続きます。楊奉と韓暹は呂布に見切りをつけ劉備を利用 しようとしますが、楊奉は劉備に殺され、その死を知って呆然自失した韓暹は白 波に帰ろうとしますが、賊として殺されます。 勤皇の人ではありましたが、単純でもあった二人は、一見茫洋と見えながらも、 実は底知れない複雑な人格を持った劉備には敵わなかったということみたいです。 李カク【イ+鶴−鳥】、郭レ、李楽、胡才。彼らもまたこの頃に姿を消しました。 ここらの情勢を、宮城谷氏は「攢峰(さんぽう)を均す」と表現しておられます。 あまたの群雄達が、曹操、両袁氏、孫策などいくつかの有力勢力に収斂されつつ あります。 追記:「攢峰」という言葉を字書で引くと、唐初の詩人・駱賓王の名が。駱統と 同じく、今の浙江省の人といいますから、何らかのつながりがあるのかも。
168:左平(仮名) 2005/11/11(金) 00:46 今日(日付上はもう昨日ですが)は蒼天の最終回。こちらはおいおい書き込むとして… 今回のタイトルは「下邳」。まずは、曹操vs張繍の第二ラウンドから始まります。 曹操と賈ク【言+羽】。二人の知略がそれぞれ冴えを見せており、なかなか読み応えの あるところです。 劉表はどう動くか。両者、その様子を見ながら戦いが始まります。このあたりは、中小 勢力たる張繍の側にとってより切実。賈ク【言+羽】は、あえて援軍を頼むことは せず、自勢力の存在感を示しつつ戦力の損耗を避けます。 この時点では各地に敵のいる曹操は、長期戦は避けたいところ。そこに、田豊が袁紹に 許都攻めを勧めたという話がありましたから、戦況は決して不利ではないものの、撤退 する事になります。 ここからが両者の凄いところ。まず曹操は、前後に敵がいる形になりながらも、通常の 数分の一というスローペースで行軍しつつ、「軍を消す(隠す)」という奇策をとり、 追っ手を大破します。その後は急ぎ帰京。 一方賈ク【言+羽】は、最初の追撃は必ず敗れる事を、次の(敗走後の)追撃は必ず勝 利する事を張繍に告げ、結果はみごとその通りに。 ここで、何ゆえそうなったのかと聞く張繍に対する回答は至って誠実なもの(いくら何 でも、あなたは曹操には劣る、ってはっきり言い切りますか、普通)。 …そういえば、三国志「T」の時の賈ク【言+羽】って、顔グラがけっこう穏やかそう な感じだったんですよね。 その戦いの後、曹操にとっての主敵は呂布になります。タイトルのとおり、後半は呂布 攻めです。 ここで、高順達が語られます。「陥陳(陣)営」の異名を持つ高順はまさしく名将。戦 えは必ず勝ち、欲は少なく、忠義に篤い。呂布にとってこれほど頼もしい配下はいない といってもいいでしょう。しかし、呂布は彼をいまいち信用しません。高順自身は呂布 に叛くようなことは何もしていないというのに…。 一方、あの兗州の攻防の後、曹操と呂布・陳宮とでは、その力量にどんどん差がついて いる様です。それは、前者が学び続けているのに対し、後者が学ぶのをやめてしまった からに他なりません。 宮城谷三国志においては、最終的に勝者となるのは「学び続け(、その結果成長し続け た)た者」という視点がある様です。 この戦いの中、呂布は愛する妻の言葉により陳宮の策の実行をためらい、動けなくなり ます。そんな中、配下の将達は…
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
★『宮城谷三国志』総合スレッド★ http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1035648209/l50