下
★『宮城谷三国志』総合スレッド★
248:左平(仮名)2009/11/28(土) 15:55:30 ID:A/4303W/0AAS
続き。
そうこうしているうちに、西暦230年。この年、魏は本格的な軍事行動を起こそうとします。蜀漢が対魏戦の
準備を着々と進めていると知った曹真が、機先を制してこれを討つことを考えたのです。
彼我の国力差を考えると、孫資の言うとおり、魏から無理に戦いを仕掛けずともよいのですが、今や魏軍の重鎮
たる曹真の意見をむげに取り下げることもできません(それに、敵に謀られて〜というわけでもありませんし、
蜀漢の攻勢を挫くという意義もある以上、無意味な戦いでもありませんからね)。
結局、秋になって、出撃が決定します。曹真と司馬懿がともに蜀漢に攻め込もうというのですから、大戦になる
ことは必定でした…が、折からの長雨のため、軍は進めず。
呉に備えるため、洛陽を発ち許昌に滞在する曹叡に、華歆・楊阜達が諫言を呈します。
最後は、この楊阜のこれまでの生き様が描かれます。
時を遡ること、約二十年。手痛い敗北を喫したものの、曹操が去った後、勢力を盛り返して涼州を荒らす馬超を
倒すべく、姜叙の母達とともに蜂起する、というところまでです。
文官・武官というくくりでは文官なのでしょうが、なかなかどうして、苛烈な半生です。
上前次1-新書写板AA設索