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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
250:左平(仮名) 2010/01/01(金) 01:34:13 ID:hGkpiVxC0 続き。 ともあれ、その後の地方勤務も含めて高く評価された楊阜は、曹叡の代になって、中央に呼ばれます(彼の登用自 体は、曹丕の時代から検討されていたようになっています)。 このような経緯で中央に召された楊阜は、曹叡に対し、時として厳しい諫言を行います。土木建設事業を好む、と いうのが微妙なところではありますが、為政者としての資質において父・曹丕を上回る曹叡は、楊阜の諫言をよく 聞き入れ、施政に生かしていきます。 制度上は、皇帝の賢愚に関わりなく国政の運営が行われるようになっているとはいえ、やはり皇帝の資質は重要で あります。名君が現れれば国は活気づき暗君が現れれば国は沈滞する。今も昔も変わらない真理がここにあります。 前述のとおり、軍事的な視点も持ち合わせているであろう楊阜の目には、悪天候が原因とはいえ、こたびの戦いの 戦況が思わしくないことが見て取れました。 曹真の、時勢のみる目に衰えがあるのか?今の蜀漢は、弱くもなく、乱れてもいない。そんな相手を倒すのは容易 ではない。なぜ、今なのか…、と。 結局、長雨が止まぬ中、ついに撤収命令が下され、曹真達は傷心のうちに撤収することになります。この時、曹真 は、重い病の床に臥していました。出師を願い出た自分が、病であるからといって引くことはできない。その意地 が、かえって病状を悪化させたのでしょうか。 皮肉なことに、曹真達が撤収してからは、雨は降りませんでした。天には、まだ蜀漢を滅ぼす意思はない。国力面 では圧倒的な差をつけているとはいえ、相手に天の加護があるのか、という意識は、今後の魏にとっては、厄介な ものとなりそうです。 まだ続きます。
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