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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
277:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:44:51 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2010年08月)
今回のタイトルは「孔明」。そのものずばり、の回です。
蜀漢の建興十二(西暦234)年八月。陣中に星が落ち…諸葛亮が薨じました。享年五十四。前回、体調を崩したのが
八月とありましたから、諸葛亮を襲った病魔は、顕在化してから一月足らずで彼を死に至らしめたことになります。
ただ、諸葛亮が何日に亡くなったかは、分からないようです。記録が不十分なこともありますし、全権を掌握する丞相
の死は蜀漢の最高機密でもありますので、それを知る者は、この時蜀漢の陣中にあった数名のみ。
その一人・費禕は、あらためて丞相・諸葛亮の仕事ぶりを振り返ります。常に細やかな目配りを怠らなかったその姿は、
まさに為政者の見本と言うべきもの(ただし、必然的に命を削るような激務が伴います)。
軍事においてもそれは当てはまり、蜀漢の軍紀は厳格そのもの。敵地の住民とも信頼関係を築くなど、王者の軍と言う
べきものにまで鍛え上げました。
ただ、それゆえ、奇策はなく、決定的な勝利も得られなかったというジレンマが。緒戦での失敗がここまで響いたこと
は否めません。
「細やかな〜」とくると、蒼天での劉馥が想い起こされます。諸葛亮は、どこで、このような政治姿勢を培ったので
しょうか。何かで「最も成功した法家」と言われていましたが…。
続きます。
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