★『宮城谷三国志』総合スレッド★
218:左平(仮名)2008/09/21(日) 22:34:19 ID:/lB/9KIdAAS
続き。
関羽は、捕らえられたが呉に降るを潔しとせず、斬られた。史書がそう記すのは、関羽の名誉を守ろうとしたからで
あろうが、それはかえって名誉を損なっているのではないか。言われてみると、頷けるところがあります
関羽は、諸葛亮と出会い(現実との妥協点を求めた結果)自尊を貫けなくなった劉備に代わって自尊を貫いた。で、
あるならば、なおさら、簡単な道は選べません。
それゆえ、魏と戦い呉とも戦った。春秋の義に憧れ、自尊を貫いた英雄はかくして斃れました。

関羽の首級は、曹操のもとに送られました。関羽を殺されたことに対する劉備の怒りを曹操に向かわせるためです。
しかし、曹操もそんなことは百も承知、孫権の慇懃無礼ぶりに不快感を示しながらも、関羽に礼を以て接し、(やや
意地悪く言うと)孫権との、人としての格の違いを見せつけます。

 以下、個人的な感想。
 こうしてみると、三国志では、呉はどうしても脇役にならざるを得ないんですよね。漢から禅譲を受けたという
 正統性を持つ魏、漢の血胤による正統性を持つ蜀漢に対し、呉にはそういったものが全くありませんから。
 孫権が切れ者であるのは間違いないのですが、正統性がないゆえ自由に動ける反面、その言動への彩がどうにも
 難しい…。
 
しかし、なお意気盛んな曹操も、年には勝てず。関羽の首級と対面してから程なく、薨去しました。享年六十六。

曹操に対する、あまたの賛辞が語られた(曹彰のことがちらりと語られた)後、「ここからほんとうの三国時代が
はじまるのである」と締められます。


…そう、そうなんですよね。三国時代というのは、地に三人の帝王が並立するという異常な時代。少なくとも、今
回までは、まだ漢の時代なわけですから、真の意味での三国時代ではないわけです。
しかし…どれだけ齢を重ねても、様々な三国志の物語を読んでも、三国時代に入る以前の方がいろいろな意味でそれ
らしいというのが、また何とも…。
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