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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
227:左平(仮名)2009/02/22(日) 17:41:04 ID:qOqvofCv0AAS
三国志(2009年02月)
今回のタイトルは「劉備」。とはいえ、前半は、魏vs呉の戦いの続きです。
戦いは、やや魏有利に進んでいます。とはいえ、長江をまたいでの戦いということもあってか、戦線が何方面かに分散して
いるためもあってか、そうそう目を見張るような派手な会戦があるというわけではありません。
○張遼あり、ということで、この方面では呉はほとんど動きません。張遼が病身であるにも関わらず、です。たった一人の
将にここまで怯えるのも何ですが、あの戦いからまだ十年も経っていないんですよね。
○一方、曹仁は、敵兵力(この頃、敵将は周泰から朱桓に交替)が劣るとみるや、兵を四つ(曹仁、曹泰、常雕、王双、諸葛
虔ら)に分散し、速攻を仕掛けます。
やや傲慢なところがあるとはいえ、朱桓もなかなかの将。素早く反攻し、常雕らを討ち取り王双を捕らえる働きを見せます。
名将・曹仁にしては、(戦術的には誤っているわけではないとはいえ)やや焦りがあった、とも。
○前線の将には、手柄ほしさに逸る危惧が。董昭、曹丕に適切な助言をし、十分に備えさせます。
結局、目立った成果はなく、魏は撤退します。防衛に成功したという点では呉の勝利ではあるのですが…。双方、特に得る
ものもなかったようです。
魏…呉への侵攻としては中途半端な感がありますが、とりあえずは、魏の威を知らしめたと言い繕える程度の成果ではあり
ます。しかし、ともに病によるものとはいえ、曹仁・張遼という名将が亡くなったのは、結構な損失です(曹仁56歳、
張遼の年齢は不詳ながら50代くらいか。あと十年は活躍してもおかしくないかと)。
慣れない気候で病状が悪化したのだとしたらなおさら痛いです。張遼の死の知らせを聞いた曹丕はいたく嘆いたといい
ますが、病身にもかかわらずこの遠征に連れ出したわけで…。
呉…張遼の幻影に怯えた、というのも何ですが、魏撤退後にもやらかしていました。既に武装解除していた文聘と遭遇した
にもかかわらず、策を(というか文聘の肚の座り具合を)恐れ、さらに、撤退するところを、追撃してきた文聘にして
やられるという有様です。ここまでくると、孫権の戦下手も筋金入りですね。
そういえば、今回、陸遜の名を見なかったような…。
長くなるので続きます。
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