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233:左平(仮名) 2009/05/24(日) 01:23:54 ID:85J6nSxv0 三国志(2009年05月) 今回のタイトルは「曹丕」。本作において個人名をタイトルにする場合、初登場か何らかの見せ場が、というところなの ですが、「曹操」「劉備」と続くと、なんというか…。 今回は、まず、鮑について描かれます。前にもあったように、曹丕の不興を買い、しばし遠ざけられていた鮑ですが、 「(宮中の綱紀粛正ができるのは)かの者しかおりません」ってな具合に群臣から推挙されますと、曹丕としても、登用 しないわけにもいきません。 実際、これで宮中が締まったわけですが、裏を返せば、王朝の創業から数年(この時点では西暦225年)で早くも緩み が生じていたともいえるわけです。 曹丕は再度呉と戦おうとします。鮑達は懸命に諫めますが、聞く耳を持たず、またしても出兵します。しかし、行軍の 鈍さをみると、彼自身、どこまで戦おうとしていたのかよく分かりません。戦略的意義のない戦いをすることに何の意味 があったのか。 そんな中、些細な事件がありました。これが、後で尾を引くことになります。 洛陽に戻った曹丕の耳に、一つの讒言が入りました。先の些細な事件がもとで鮑を憎むようになった者からのものです。 直ちに罪に問いますが、(当然ながら)廷尉達の答えは微罪(罰金等)。これに不満を持った曹丕は、おのが本意を示し 鮑を処刑させます。 しかし…。曹丕ならば「春秋」は知悉しているはず。その中の叔向の逸話を思い起こせば、社稷の柱石たる鮑(曹操の 覇業の影に鮑の父・鮑信の支援あり)は、たとえ死に値する罪ありとしても許すべき存在であるはずです。ましてや、 その罪状があやふやなものであるならばなおのこと。 おのが恣意を通した曹丕。しかし、群臣達を失望させたであろう、このような行いをしたとなれば、いわゆる春秋の筆法 では…。 長くなるので続きます。
234:左平(仮名) 2009/05/24(日) 01:25:16 ID:85J6nSxv0 続き。 その事態は、極めて急に起こりました。鮑の処刑からほどなく、曹丕が崩じたのです。 病に臥してから一月足らず。当年齢四十の壮年で、武芸にも長け、持病もない彼の急逝は、当然ながら、波紋を投げかけ ました(春秋の筆法で言えば、鮑を殺した報い、ということでしょうか)。 幸い、まだ意識がはっきりしている間に立太子は為されましたので、この点は良かったのですが、太子に曹叡が選ばれた ことには、群臣達に多少の驚きがありました。先の、とつくとはいえ、皇后との間に生まれた嫡長子。なんの問題もなさ そうですが、実母の死に方(死を賜った)は、尾を引いていたようです。 まあ、太子の過去はともかくとしても、一度は地方王になり、中央からは離れたものと思われただけに、その賢愚は未だ 定かならず。 ひとり新皇帝に呼び出された劉曄は、まる一日語り合い、その力量を概ね把握しました(一方で、曹叡もまた、群臣の中 で最も優れていると判断した劉曄を通じて、群臣達の賢愚や時勢を把握したものと思われます)。 秦始皇・後漢光武に近いがわずかに及ばない。劉曄の見立ては、そのようなものでした。 呉との小競り合いに対しての対応をみると、少なくとも、皇帝としては曹丕より上と思わせるに足るスタートを切ります。 さて、魏・蜀漢とも代替わりをした一方、呉は、引き続き孫権です。 自分とは親子ほども年の離れた魏の新帝。しかも、その器量をみるに、魏に揺るぎはありません。また、(魏に備える為 ではありますが)蜀漢と同盟関係になっていますので、攻めるわけにもいきません。 直ちに呉に危難が及ぶわけではない。しかし国威発揚の機も期待できない。そんな中、呉艦隊期待の大型艦の進水という イベントがありました。そう、谷利の見せ場です。 大型艦の進水にはしゃいだか、停滞する現状に苛立つあまりの気晴らしか。一国の主としては軽率な言動を見せた孫権に 対し、厳しく、しかし真摯に諌めた谷利。それをしかと受け止めた孫権。 もう一人の皇帝が現れるのは、そう遠い日のことではありません。
235:左平(仮名) 2009/06/21(日) 01:20:53 ID:VtX07A/g0 三国志(2009年06月) 今回のタイトルは「孟達」。この名がまた出てきたということは…。諸葛亮がついに動き始めます。 「これを読んで感涙せざる者は人にあらず」。千古の名文として知られる「出師表」。「危急存亡の秋」という言葉は、 この時点の蜀漢にはややそぐわないところがある(南征に成功したことで国力はまずまず充実している)ものの、その 未来図が決して明るくないことを思うと、あながち過剰な表現というわけでもありません。 かつて、蜀の地において皇帝を名乗り強盛を誇った公孫述は、時勢に乗り損ねて光武帝に敗れ、滅びました。覆車の轍 を踏まない為にも、漢の再興という政権の正統性を維持する為にも、ここで戦う必要があると考えたわけです。 ただ、ことがことだけに、失敗は許されません。そこで諸葛亮は、ある人物に目を付けました。孟達です。 曹丕にいたく気に入られ、要地・上庸を任された孟達ですが、彼にとって、魏は居心地がよい所とは言えませんでした。 裏切り者の常とはいえ、魏の人々からは冷たい目で見られていることを、痛いくらいに感じていたためです。 「武皇帝(曹操)は…」。 かつて曹操は、降った敵将を重く用いました。もとは呂布の配下であった張遼などは、天下に名を轟かせる名将にまで なりました。魏の人々にとって、張遼は、「旧主を見限った元敵将」ではなく「魏の誇るべき名将」なのです。 しかし…。曹操の生きた非凡な時は既に去り、人々は平凡な道義を振りかざします。そんな中では、孟達のような人物 の居場所はないのです。 ただ…。曹操の創業の時は終わったのですが、今、帝位にある曹叡もまた、凡庸な人物ではありません。司馬懿を宛 に配置したのは、呉・蜀漢の双方に目を光らせるための措置。中央から遠ざけるというのとは違うのです。そのこと を孟達が気付いていたら、どうだったでしょうか。 孟達を寝返らせる。諸葛亮からその案を聞かされた費詩は、孟達を「小人に過ぎない」と断じました。彼が魏に奔った 経緯を考えるとやや酷な物言いのようですが…結局、それが…。 長くなるので続きます。
236:左平(仮名) 2009/06/21(日) 01:22:24 ID:VtX07A/g0 続き。 諸葛亮と孟達との書簡のやりとりは続きますが、孟達はなかなか動きません。互いに「相手が動いたら連動する」という 発想に陥っていたためです。それに異を唱えたのは、魏延でした。 ここでの魏延はただの武人ではありません。「もし孟達が先に動いたなら、魏との戦いを始めるという栄誉は孟達のもの となり、我らの大義は損なわれる。丞相は失敗しないよう慎重になる余りに、この戦いの原点をお忘れではないか」。 このようなことをずばり指摘してみせたのです。 先帝・劉備に見出され、蜀漢の柱石たる張飛をおいて要地・漢中を任された名将・魏延。諸葛亮も、彼を軽くみることは しませんでしたが、武将を用いる力は、劉備には及びませんでした(一方で、蒋琬のエピソードをみると、文官を用いる 力は諸葛亮の方がまさっているのですから不思議なものです)。 このままずるずると年を越しては、自身の威令が利かなくなり、来るべき戦いにおいて支障をきたす恐れがある。魏延の 指摘を聞いた諸葛亮は、ついに決断を下します。 信頼する配下・郭模をあえて魏に奔らせ、孟達が動かざるを得なくなるよう仕向けたのです。郭模(および家族の)身の 安全は保障されるでしょうが、蜀漢のために蜀漢を裏切るという辛い任務です。 この苦肉の策は効きました。もともと孟達を嫌っていた申儀が、これにより、孟達謀反の確かな証言を得たからです。孟 達に対し、朝廷から召喚命令が出ますが…もちろん行くはずもなく。 しかし、その割には孟達の動きは鈍いままです。それもそのはず。彼が戦うであろう司馬懿のいる宛は遠く、また、洛陽 との使者のやり取りを考えると、準備期間は十分あると考えられたからです。 司馬懿もそのことは承知しているので、孟達の動きを鈍らせるよう策を施します。 西暦227年冬。魏・蜀漢の戦いは、水面下では、既に始まっています。
237:左平(仮名) 2009/07/25(土) 02:14:54 ID:wQjkGeU20 三国志(2009年07月) 今回のタイトルは「箕谷」。いよいよ、魏vs蜀漢の戦いが始まるわけですが…。 孟達がぐずぐずしているところへ、司馬懿が急襲を仕掛けます。まさに「神速」。完全に虚を突かれた形になったため、 兵の士気の差も歴然たるものがありました。 それでも十日余り持ちこたえたあたり、孟達の将器もそこそこはあったとは言えるのでしょうが…諸葛亮からの援軍も しっかり防がれると、最早、打つ手はありません。 併せて、(魏から見て最前線で監視の目も緩くなりがちなことから)勝手気ままに振る舞っていた申儀も逮捕。魏の西南 方面がしっかりと平定された格好に。 諸葛亮からすると、思いっきり出ばなをくじかれた形になります。とはいえ、「攻撃は最大の防御」ともいうように、蜀 漢が生き延びるには、魏と戦うしかありません。 しかし、国力差はいかんともし難いものがありますし、何より、曹叡と司馬懿(ら群臣)との連携がしっかりとしている 以上、うかつなことはできません。 こうしてみると、蜀漢・呉にとっては、もう少し曹丕に生きていてもらった方が良かったのか?ってな感じですね。 何度も戦場に立ったことがあり、武芸にも秀でていた曹丕より、実戦経験の殆ど無い曹叡の方が軍事的手腕に優れる というのも、不思議なものです。 必然的に、諸葛亮達が考える進攻ルートは、慎重なものになります。諸将も概ね賛同しますが、ひとり異見を持つ人物が いました。そう、魏延です。 漢中太守、ということは、魏との戦いの最前線にいるということ。前線の事情に明るい彼には、この戦いを有利に進める 成算がありました。長安急襲です。 長安は魏でも有数の要地でありますが、守る夏候楙には軍略の才乏しく、ひとたび攻めかかれば脆いもの。兵糧の備蓄も ありますから、補給の心配もありません。 しかし、敵中に孤立し、殲滅される危険性がある以上、諸葛亮としては、受け入れられない提案でした。 長くなるので続きます。
238:左平(仮名) 2009/07/25(土) 02:18:52 ID:wQjkGeU20 続き。 自らの提案が却下されたことに不満を持つ魏延。しかし、諸葛亮の次の言葉に、さらなる衝撃を受けます。 「先鋒は馬稷」 この選択についての宮城谷氏のコメントはかなり辛口です。こと軍事面に関しては、諸葛亮は袁紹と同程度である、と。 行政面についてはまさしく名宰相である彼も、万能ではありませんでした。 もし、この時、黄権のような人物がいれば…。この頃から、蜀漢は人材不足に悩まされていました(魏延の提案を却下 したのも、前哨戦ともいえる段階で蜀漢随一の勇将・魏延を失うようなことがあったら…という危惧があったのかも知 れません)。 ともあれ、こうして、蜀漢の軍勢が動き始めました。 しかし、慎重な行動というのは、一方で、意外性に乏しく驚きをもたらさないものでもあります。蜀漢が仕掛けてきた、 といっても、策に乏しい正攻法での攻撃では、将兵の質量にまさる魏に勝つことは至難の業。 曹叡の反応は、迅速かつ適切。直ちに、曹真や張郃といった大物どころを派遣してきました。こうなると、蜀漢は苦戦 を免れません。 蜀漢の進攻ルートから外れていたことを逆手にとり、逆に漢中目がけて進攻する曹真は、ここで趙雲率いる部隊と接触。 激戦となります。 「常山の子龍はまだ生きていたか」と強敵の出現に喜ぶ曹真。 「(若い頃のようにひとりで百の敵にあたるとまではいかないが)戦場はふしぎな力を与える」と感じる趙雲。 数と兵の練度にまさる魏軍がじりじりと押していく中、自ら後拒を担う趙雲。劣勢は覆せませんが、この危機をどう 切り抜けるか。 …今回の魏延の書かれ方をみると、名将とはいかなる人か、ということを少しばかり考えさせられたような。
239:左平(仮名) 2009/08/23(日) 01:37:07 ID:bq1phsVL0 三国志(2009年08月) またしても迂闊なことを。馬謖の名をを書き間違えてしまうとは。気を取り直して。 今回のタイトルは「街亭」。まあ、第一次北伐とくると、この名前は当然出てくるところですね。 まずは、前回の続きから。兵の数の差は大きく、蜀漢軍は撤退を余儀なくされ、ついに趙雲自らが後拒を担います。 その生涯を決定づけた存在である劉備を、戦場に斃れた関羽を思い、一人佇む趙雲。戦場に、一瞬ですが、静寂が 訪れます。 既に老齢に達してはいますが、長坂の英雄は未だ健在。ただ一騎とはいえ、敵に凄まじい威圧を与えます。 そして、魏兵の目に、ひときわ趙雲の姿が大きく映ったその時― あっという間に数十の敵兵を屠り、部隊長を叩き落としました。部隊長自身は無事でしたから、趙雲に気圧された、 としか考えられません。地味な撤退戦とはいえ、個の武人の強さがかくも鮮やかに描かれたのは合肥の張遼以来か。 「趙雲には近づくな」。曹真の命をうけて追撃する第二陣の部隊長に、先の部隊長はこう言います。既に日も落ち、 ここは敵地。追撃するには危険なところです。たとえ怯、と罵られても、兵士の命には代えられません。そして、 この危惧は現実のものとなります。 翌朝、再度追撃を開始した魏軍が見たもの。それは、蜀漢―そのうちのかなりの部分は趙雲一人―に屠られた魏兵 で作られた牆でした。その凄惨さをみた魏軍の士気は落ち、曹真は兵を引きます。 準皇族である彼には、派手な武勲を求める必要性はありません。敵将の趙雲・ケ芝の首級は挙げられずとも、一定 の勝利を収めた以上、深追いする必要はないのです。それに何より、兵を労わる曹真には、牆にされた兵士の骸を 放置することはできませんでした。 「蜀の地では寝心地が悪かろう。みな連れ帰って葬ってやりたい」。 将にこういうことを言ってもらえる分、この魏兵にはまだ救いがある、というところでしょうか。 みごとに兵を引いた趙雲は諸葛亮に激賞されますが、報償を出そうとするのに対しては、きっぱりと拒否します。 最も成功した法家、と言われることのある諸葛亮でさえ甘いと思わせるほどに厳しい道を歩み続けてきた趙雲。 彼は、この翌年に逝去します。 長くなるので続きます。
240:左平(仮名) 2009/08/23(日) 01:39:56 ID:bq1phsVL0 続き。 同じ敗戦でも、趙雲のそれがそう思わせないほどにみごとなものであったのに対し、馬謖のそれは、甚だ無様な ものとなりました。 副将の王平がまっとうな行動をとっているだけに、「策士、策に溺れる」を地でいく馬謖の判断ミスが余計に 目立つのです。 相手は「半世紀の武人」張郃。敵将を侮り、のみならず、策の危険性を軽視し、副官の指摘にも耳を貸さない。 兵書に通じているはずの彼が、最も基本的なところを見落としていたのです。 「彼を知らず己を知らざれば、戦うたび即ち殆し」。彼の敗戦は、必然でした。 王平に助けられ、辛うじて撤退した馬謖。しかし、これは単なる敗戦ではありません。その咎は、死をもって 償う他ありませんでした。 馬謖の将来を最も期待していたのは諸葛亮です。ゆくゆくは丞相にも。そんな未来図を描いていたでしょう。 しかし、法を枉げることはできません。辛い決断を下すことになります。 ここで馬謖を斬るべきだったのかどうかは、議論の余地があるところです。しかし、馬謖の失敗は、彼に嘱目 していた諸葛亮にも向けられます。「諸葛亮は万能ではない」。先にも言われてはいましたが、かなり辛口な 評価がされています。 為政者に問われるのは、ただただ結果のみ。事情を知る者には酷に思えるところですが、そういった、不条理 にも思えることをも引き受けなければならないのが為政者の宿命。 全く得るところなく終わった、第一次北伐。しかし、それでも、何もなかったわけではありません。 諸葛亮は、ひとりの偉才を拾いました。姜維です。
241:左平(仮名) 2009/09/26(土) 03:04:24 ID:sq1CW+Zq0 三国志(2009年09月) 今回のタイトルは「曹休」。姜維についての記述はないのですが、第一次北伐の余談、とでもいうべき話から 始まります。 かつて張既に託された、游殷の遺児・游楚。立派に成長し、太守となった彼のもとに、蜀漢軍の侵攻の知らせ が届きます。 天水・南安の太守が早々と逃亡する中、ここが死に場所、とばかりに肚を括ると、きっちりと迎撃態勢を整え、 蜀漢軍に一撃を加えます。 游楚は学問を好まず、遊び好きだったそうですが、郡の官民の心を得たことといい、敵軍の状況を冷静に把握 したことといい、なかなか優秀な人物ですね。 戦力を分散していた蜀漢軍は、長居は無用とばかりに撤退。みごと、援軍の到来まで持ちこたえました。 近隣の太守が醜態を晒す中での、この活躍。宮中に上がった時の天然ぶり(?)もあって曹叡に気に入られた 彼の人生は、比較的穏やかなものだったようです。 さて、タイトルの曹休ですが…。この時、彼は、南の呉に備える立場にありました。 蜀漢と呉は同盟関係となっています。と、いうことは、両者が連携して魏と戦うということが予想されるわけ です。そして、蜀漢が攻撃を仕掛けてきたということは…。曹休は、呉との戦いの準備に取りかかります。 孫権も、蜀漢が動いたことを知ると、魏との戦いの準備に取りかかります。しかし、過去数年の戦いの結果は、 というと、一進一退。それも、軍事のまずかった曹丕の時で、です。 天性ともいうべき戦略眼を持った曹叡が相手となると、これでは心もとない。孫権は、何らかの策略を用いる 必要に迫られます。 長くなるので続きます。
242:左平(仮名) 2009/09/26(土) 03:05:46 ID:sq1CW+Zq0 続き。 ここで白羽の矢が立ったのは、前線にいない鄱陽太守・周魴です(前線の太守が策をめぐらしても警戒されて いるため難しい、との判断)。山越等の賊との戦いの経験もあり、なかなか優秀な人物ではありますが、これ はいかに言っても困難な使命です。 何度も策を練っては却下され、ついには問責の使者が来て、剃髪して詫びるということも(演義では、曹休を 欺くための策の一環でしたが、ここでは、本当に策が思いつかないが故の剃髪)。上司の無茶な命令にこたえ られずに謝罪を強いられる部下…。何か、身につまされます。 ようやく策ができ、孫権の了承が得られました。ここからが、大戦の始まりです。 周魴の内通という機密情報。曹休は、この情報を己の内にしまい込みます。曹叡に報告すると…と思ったので しょうか。 数に劣る呉軍としては、賈逵の援軍が来る前に曹休の軍を殲滅したいところ。ここは、陸遜や朱桓といった、 呉の最精鋭が当たります。 周魴の内通が偽りであったと悟った曹休は激怒しますが、十万という大軍を率いていることもあり、総攻撃を 掛けます。 軍勢を分断されて苦戦を強いられますが、戦意は高く、劣勢とはいえ軍としての形は崩さないあたり、慎重さ に欠けるなどと言われはしても、ひとかどの将帥であることは確かです。 とはいえ、敵の術中にはまり敗れたのには違いありません。曹休は、撤退を余儀なくされます。 援軍に向かう途中でこのことを知った賈逵。さて、どうするか。
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