★『宮城谷三国志』総合スレッド★
252:左平(仮名)2010/01/24(日) 01:32:51 ID:94F5vzQz0AAS
三国志(2010年01月)

宮城谷氏が、2月1日から読売新聞で連載されるとのニュースが入りました。タイトルは「草原の風」。主人公は、
光武帝・劉秀(挿絵は、宮城谷作品ではお馴染みの原田維夫氏)。本作は楊震の「四知」から始まってますので、
時代的に繋がってくるかも知れません。

さて、今回のタイトルは「天水」。いよいよ、諸葛亮と司馬懿の直接対決です。ただ、両軍内部に対立の芽が…。

曹真が病に倒れ、蜀漢への備えが薄くなることを危惧した曹叡は、後任に司馬懿をあてます。「司馬」の氏を名乗る
からにば文武兼備でなければ、と意気込む彼にとっては、来るべくしてきた任務と言えるでしょう。
それに、彼にとっては、蜀漢は因縁もあります(そのあたりの経緯は「魏国」の回で触れられています)。あの時、
何故、武帝(曹操)は軍を蜀に進めなかったのか。あるいは、「足ることなきを楽しむ」という心境だったのか。
…今となっては、分かりません。ともあれ、その結果として蜀漢が興り、彼は、それを討伐すべく任地に赴くことに
なりました。
 儒学は軍事を軽侮する(孔子が「信なくば立たず」と言った際、真っ先に軍備を諦めている)。兵法を極める者は
 老荘思想的である…。司馬懿は、(それだけではないとはいえ)本質的には儒学の徒のはず。この点は、諸葛亮も
 同様でしょう。と、なると…。

入念な偵察によって諸葛亮の進軍ルートをつかんだ司馬懿は、上邽に武将を派遣し、守らせようとします。しかし、
ここで暦年の勇将・張郃が「雍と郿にも派遣すべき」と主張します。ともに交通の要衝とはいえ、進軍ルートからは
外れているし、軍を分けることは、かつての楚vs黥布の例からも、よろしくない。そう判断した司馬懿は、この進言
を退けました。諸葛亮の進軍ルートは予想通り。ここまでは順調ですが…。

長くなるので、続きます。
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