★『宮城谷三国志』総合スレッド★
268:左平(仮名)2010/05/31(月) 00:54:26 ID:???0 [sage ]
続き。
当然、司馬懿もそのあたりのことは承知しています。次は充分な兵糧を準備してから動くだろうから…三年ほど後だな、
という見立てはおおむね的中しました。ただ、この間に魏がしたことは、迎撃体制の構築でした。
蜀漢が動くのに応じて…ですから、どうしても受身の形になります。

戦いに赴く司馬懿の目に、鳥の群れが映ります。「往時、鳥は天帝の使いであったな」。この鳥達は何を意味している
省15
269:左平(仮名)2010/05/31(月) 00:55:06 ID:???0 [sage ]
続き。
蜀漢の軍勢が停止します。これは、野戦で魏との決戦をしようということか。何のひねりもないだけに、かえってその
意図が読めません。
魏の諸将は、打って出ない蜀漢を嘲笑しますが、この沈黙の故、様々な思索が巡らされます。

ついに、魏軍が動きました。郭淮を北に派遣し万一の事態(西方との交通の遮断)に備えたのです。
省18
270:左平(仮名)2010/07/03(土) 02:35:03 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年06月)

今回のタイトルは「満寵」。西で諸葛亮と司馬懿との一大決戦が続く一方、東でも動きがあります。

万全の態勢をもって決戦に臨んだ諸葛亮。魏延のやる気がいまいちなのが気になりますが、将兵の練度、士気、兵糧…
どれをとっても負ける要素は見当たらないと確信を持っています。
省22
271:左平(仮名)2010/07/03(土) 02:35:33 ID:???0 [sage ]
続き。
情けない。そう思う孫権ですが、問題はそれだけではありません。どうしても合肥を落とす策が見当たらないのです。
満寵がいまだに南に睨みをきかせている以上、彼に勝たねばならないわけですが、その満寵、いまだ衰えをみせません。

満寵さえいなければ…。孫権以外にもそう思う者はおり、一度は都に召還されます。佳酒を振る舞われますが、大量に
飲んでもその挙止に乱れはなく、衰え無しと判断され、引き続き任にあたることになります(疲れを覚えた満寵が何度
省16
272:左平(仮名)2010/07/03(土) 02:36:48 ID:???0 [sage ]
続き。
合肥新城、と書きましたが、この城は、満寵自身の献策によって移転したもの。当然、容易には落とせません(だから
こそ、あえてそれを放棄するという奇策に対して、曹叡は危険すぎるという判断をしたわけです)。
それゆえ、孫権は大型の攻城兵器を用意させますが、完成までには時間がかかります。そこを、満寵に付け込まれます。
われは張遼将軍には及ばぬが…などと謙遜しつつも、少数の手勢を用いての夜襲はみごと成功。攻城兵器は焼け落ち、
さらに孫権の甥・孫泰をも倒します。
省18
273:左平(仮名)2010/08/02(月) 00:45:51 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年07月)

今回のタイトルは「秋風」。ついに、その時が来ました。

まずは、孫権による合肥攻略が失敗したところの続きから。中軍を率いる孫権がさっさと撤退してしまったため、東軍・
西軍もまた、撤退を余儀なくされます(最も大きい中軍が真っ先に撤退してしまっては戦略も何もありません)。
省19
274:左平(仮名)2010/08/02(月) 00:46:52 ID:???0 [sage ]
続き。
長江を下る陸遜は、突如、狩りをしようと言いだします。しかし、まだ呉領内には入っていません。何を狩るというの
でしょうか。
…狩りというのは、魏領である江夏の諸県を襲撃することでした。特に石陽のそれは、城外に市が立って賑わっていた
ため、多くの庶民を巻き込む惨いものとなりました。
結果、少なからぬ数の捕虜を得ましたし、襲撃後の慰撫もあって投降する者も出たことから、一定の戦果を挙げたとは
省15
275:左平(仮名)2010/08/02(月) 00:48:02 ID:???0 [sage ]
続き。
諸葛亮と司馬懿の決戦は、完全に膠着状態。互いに負けない自信はありますが、うかつには動けません。蜀漢の全権を
握る諸葛亮はいくらでも待てますが、司馬懿はどうなのでしょうか。
…こちらも、いくらでも待てる状態でした。皇帝・曹叡自身が、決戦を急ぐ必要はないと判断していたからです。また、
使者として派遣された辛毗も、的確な戦略眼を持った人物ですから、ここは動くべきではない、ということを認識して
います。
省17
276:左平(仮名)2010/08/02(月) 00:49:11 ID:???0 [sage ]
続き。
丞相が重体に陥るまで、側近どもは何をしていたのか。丞相はまだ五十四歳。まだ二十年は働いていただかねばならぬ
というに…。軽い不快の念を抱く李福と面会した諸葛亮は、つとめて気丈に振る舞います。
体調は悪そうだが…と思いつついったん帰路についた李福ですが、側近たちの暗い表情を思いだし、直ちに取って返し
ました。丞相が再起できない、となると…
「どなたに後を継がせますか」
省15
277:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:44:51 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年08月)


今回のタイトルは「孔明」。そのものずばり、の回です。

蜀漢の建興十二(西暦234)年八月。陣中に星が落ち…諸葛亮が薨じました。享年五十四。前回、体調を崩したのが
省20
1-AA