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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
276:左平(仮名) 2010/08/02(月) 00:49:11 ID:???0 [sage ] 続き。 丞相が重体に陥るまで、側近どもは何をしていたのか。丞相はまだ五十四歳。まだ二十年は働いていただかねばならぬ というに…。軽い不快の念を抱く李福と面会した諸葛亮は、つとめて気丈に振る舞います。 体調は悪そうだが…と思いつついったん帰路についた李福ですが、側近たちの暗い表情を思いだし、直ちに取って返し ました。丞相が再起できない、となると… 「どなたに後を継がせますか」 眼前にいる諸葛亮の死後のことを問わねばなりません。さまざまな職務をそつなくこなしてきた李福ですが、この勤め は、その生涯で最も重要で、かつ辛いものとなったでしょう。 「公琰(蒋琬)がよい」 「その後は…」 「文偉(費禕)」 後事を託せる偉材が二人もいると喜ぶべきか、二人しかいないと悲しむべきか。ともあれ、諸葛亮に勝る者はいないの です。 そして…
277:左平(仮名) 2010/08/29(日) 22:44:51 ID:???0 [sage ] 三国志(2010年08月) 今回のタイトルは「孔明」。そのものずばり、の回です。 蜀漢の建興十二(西暦234)年八月。陣中に星が落ち…諸葛亮が薨じました。享年五十四。前回、体調を崩したのが 八月とありましたから、諸葛亮を襲った病魔は、顕在化してから一月足らずで彼を死に至らしめたことになります。 ただ、諸葛亮が何日に亡くなったかは、分からないようです。記録が不十分なこともありますし、全権を掌握する丞相 の死は蜀漢の最高機密でもありますので、それを知る者は、この時蜀漢の陣中にあった数名のみ。 その一人・費禕は、あらためて丞相・諸葛亮の仕事ぶりを振り返ります。常に細やかな目配りを怠らなかったその姿は、 まさに為政者の見本と言うべきもの(ただし、必然的に命を削るような激務が伴います)。 軍事においてもそれは当てはまり、蜀漢の軍紀は厳格そのもの。敵地の住民とも信頼関係を築くなど、王者の軍と言う べきものにまで鍛え上げました。 ただ、それゆえ、奇策はなく、決定的な勝利も得られなかったというジレンマが。緒戦での失敗がここまで響いたこと は否めません。 「細やかな〜」とくると、蒼天での劉馥が想い起こされます。諸葛亮は、どこで、このような政治姿勢を培ったので しょうか。何かで「最も成功した法家」と言われていましたが…。 続きます。
278:左平(仮名) 2010/08/29(日) 22:45:51 ID:???0 [sage ] 続き。 遺命により、撤退することは決定しています。楊儀が指揮を執り、費禕・姜維が補佐します。後拒は魏延。能力的には 何の問題もない面々ですが、それ以外のことで問題があります。 「楊儀と仲の悪く、かつ、戦意旺盛な魏延が、楊儀の指揮下で撤退することに同意するか」ということです。 ここは、楊儀・魏延の両者とまずまずの関係を築いている費禕が、魏延に、諸葛亮の遺命を説明することになります。 費禕はかなり有能な人物ですが、寛容な(脇が甘いとも言える)ところがあるため、魏延に対しても、悪感情は持って いません(緒戦が〜と言っていることから、魏延の策に理があったことを認めていることが伺えます)。 ですが、この使命は、色々な意味で気の重いものとなりました。 丞相・諸葛亮を喪ったとはいえ、ここまでの戦況は、決して悪いものではありません。このような状況下では、楊儀と の仲が〜という以前に、一戦を望む魏延を説得することは、かなり難しいのです。 実際、純軍事的な視点からみると、ここで慌てて撤退すると壊滅的な被害を受ける恐れもあります。むしろ、異変を 悟られないうちに一撃くれてやった方が効果があったかも知れません。 魏延は歴戦の武人。緒戦において長安急襲を提案したように戦術的・戦略的視野もそれなりに持っています。一戦する ことの意義を説かれると、その威厳とあいまって、説き伏せられる恐れがあるのです。 続きます。
279:左平(仮名) 2010/08/29(日) 22:46:47 ID:???0 [sage ] 続き。 はたして、恐れていた通りの展開に。たとえ魏延の威厳に気圧されたためとはいえ、費禕は、魏延が魏軍と一戦する ことに同意してしまったのです。 直ちに本陣に戻り、証拠となる文書は破棄したものの、署名したという事実は厳然としてあります。 こうなると、事は急を要します。本来であれば、異変を悟られないよう、粛々と撤退を開始するところですが、諸葛 亮の死を伏せたまま、直ちに撤退を開始せねばならないのです。 本陣の異変に魏延も気付き、楊儀の退路を塞ごうとします。楊儀が指揮する本隊は、前後に敵がいる形になりました。 一方、蜀漢の軍勢が撤退したことに気付いた魏軍は、その本陣跡を検分し、(楊儀が慌てて撤退したために処分でき なかった)兵糧や文書を発見します。 司馬懿は、それらの文書から垣間見える諸葛亮の行政能力をみて、「天下の奇才」と感嘆するとともに、その死を確 信します。 今、追撃すれば勝てる。司馬懿ならずとも、そう判断することでしょう。 続きます。
280:左平(仮名) 2010/08/29(日) 22:48:00 ID:???0 [sage ] 続き。 魏軍は追撃を開始します(ただし、辛毗は、まだ諸葛亮の死に半信半疑ということもあってか追撃には慎重)。途中、 はまびしを踏んだ将兵が痛がるので簡易な下駄を履いた兵を先頭に立てるという奇観もありますが、このまま蜀の地に 入りそうな勢いを示します。 魏延と魏軍に挟まれた格好になる楊儀は半狂乱。しかし、まずは丞相の棺を守らねばなりません。姜維に叱咤されて我 にかえった楊儀は、魏軍を迎撃。みごと撃退します。 もっとも、狭隘な場所での衝突でしたから、魏軍の損害自体は大したことはありません。最終的に魏軍が撤退したのは、 辛毗の指摘によるものでした。 陛下が長安まで来ておられるのであれば蜀の地に踏み入ってもよかろうが、いま陛下は南方におられる。陛下に良い ことも悪いことも言上できる者は、ここから遠くにいるということよ。 曹叡自身は優秀な部類の帝王ですが、無謬の存在ではあり得ません。その近くに、司馬懿に悪意を持つ者がいれば…。 こういうことも考えながら身を処する必要がある、ということです。 このような指摘をしてみせるあたり、辛毗は、司馬懿に悪意は持っていないようです。 これで、後ろの敵は心配しなくてもよくなりました。後は、魏延をどうするか、です。 続きます。
281:左平(仮名) 2010/08/29(日) 22:48:51 ID:???0 [sage ] 続き。 無論、魏延とて蜀漢への忠誠は持ち合わせています。我が討たんとするは楊儀のみ。これは謀反にあらず。そのような 文言の文書を都へ送り、自身の正当性を訴えます。 しかし…軍事的観点からはともかく、政治的観点においては、丞相の後継人事という問題もある以上、戦闘続行はあり えないことから、都にいる蒋琬達は、楊儀側が正しい(諸葛亮の遺命に従っている)と判断します。 よって、楊儀側に、王平率いる援軍が送られることとなります。 王平の一喝により、魏延の軍勢は崩壊。楊儀はともかく、蜀漢において諸葛亮に背くということはできないのです。 再起を図った魏延ですが、追撃してきた馬岱に斬られ、あえない最期を遂げます。 諸葛亮は魏延を持てあました。そこに諸葛亮の限界があったといえるのですが、前述の姜維や王平達の奮闘にみられる ように、諸葛亮に見出され評価された恩義に報いようとする者達がいたこともまた事実。 その芳名は、時代を超え、国を超え、はては海を越え…。 さて、無事撤退に成功した楊儀ですが、どうやら重大な勘違いをしている模様。はて…。 蛇足:「三国志」の方はまだまだ続くとはいえ、一つの山場が過ぎた感がありますが、「湖底の城」は、そろそろ新展開 がありそうな終わり方でした。
282:左平(仮名) 2010/10/03(日) 22:18:31 ID:???0 [sage ] 三国志(2010年09月) 今回のタイトルは「増築」。星落秋風五丈原の次の回にしては…と思うタイトルですが、ちゃんと意味があります。 まずは、諸葛亮の死後の蜀漢の情勢が語られます。 職務怠慢を咎められて失脚した李平(李厳)は、これで自らの復権が無くなったと悟り、悲嘆の余り昏倒し、ほどなく 世を去ります。 暴言が咎められて失脚した廖立は、蜀漢の衰亡が遠くないことを思いつつ、配所で亡くなります。 彼らは、非常に癖が強いとはいえ、優秀な人材です。その彼らが、一度は対立した人物の死に対して、これほどまでに 嘆き悲しんだところに、諸葛亮という人物の器量が垣間見えます。 また、宮中においては、悲嘆とともに言い知れぬ不安が漂います。諸葛亮の存命中は、蜀漢の全権が彼の下に集中して いたため、政務全般が一元的に、かつ円滑に動いていたわけですが、その根幹が崩れたわけですから、不安を抱くのも 当然でしょう。 何より、皇帝・劉禅自身がその不安の中に居ました。彼は、政務全般を諸葛亮に丸投げしていたわけですから、即位後 十年以上経過しているのも関わらず、政治は全くの素人。一歩間違えば、たちまち亡国の危機です。 ただ、救いは、諸葛亮の遺命が明確であったこと。蒋琬が尚書令となり、事実上の後継者として、以降の蜀漢の政務を 総攬することとなりました。遺命通りの人事なので、本来であれば全く問題ないはずなのですが… 続きます。
283:左平(仮名) 2010/10/03(日) 22:19:56 ID:???0 [sage ] 続き。 この人事に不満を抱く者がいました。楊儀です。 先の撤退戦の指揮をとり、我こそは…と自負していたのですが、ポスト諸葛亮体制における彼の地位は、いわば閑職。 占いの卦は、「今はしばし雌伏の時」といった感じなのですが、この現実を受け入れられず、不満の塊となります。 (一応軍師という肩書なので、平時にあっては〜ということだと思うのですが…) その憤懣が、費禕が慰問に訪れた際、爆発します。 あの時… これを聞いた費禕に戦慄が走ります。それは、謀反を疑われても仕方がない、というくらいの暴言。直ちに経緯が上表 されます(しかし、費禕はよくトラブルに巻き込まれますね)。 上表を読んだ劉禅は困惑します。喜怒哀楽の感情のうち怒が欠落しているとまで言われている劉禅ですから、怒声こそ 出しませんが、快いものではありませんし、何より、かような暴言を放置しては国家が成り立ちません。 結局、楊儀は解任され、配流されます。 ますます怒り狂った楊儀は、火を吐くような暴言を撒き散らし、ついに罪に問われることとなり、自害して果てます。 続きます。
284:左平(仮名) 2010/10/03(日) 22:21:49 ID:???0 [sage ] 続き。 楊儀の自滅は、実は、彼が嫌った魏延と同種のものでした。有能ではあれど、己の狭量のため、他者と協調できなかった ことが、破滅につながったのです。 ともあれ、彼らのような人材を生かしきれなかった蜀漢には、衰退の兆しが…という具合です。 一方、魏の方ですが…諸葛亮の死に対して安堵感が漂います。 魏からみた蜀漢は、存亡にかかわるほどではないとはいえ、うっとうしい存在でした。ひとたび戦いとなると、数万の 大軍を数ヶ月にわたって貼り付けなければならず、しかも、目立った成果が上がらないのです。 諸葛亮の死によって、ひとまずそれがなくなったわけですから、安堵するのも無理からぬところ。 …そのせいかどうか分かりませんが、この頃、魏では重臣の他界が相次ぎます。結果として、司馬懿の存在感が増して いくことになります。 蜀漢・呉とも、じり貧状態。聡明な曹叡にはそのことが手に取るように分かります。それに安心したか、宮殿の増築が 相次いで行われるようになります。楊阜などの諫言がありますが、こればかりは止まりません。 魏の国力を見せつける等の意味はあるとはいえ、ここまで増築に熱を挙げたのはなぜか。そこには、ある喪失からきた 所有欲があるのではないか、と。 続きます。
285:左平(仮名) 2010/10/03(日) 22:25:49 ID:???0 [sage ] 続き。 曹叡が喪失したもの。それは、母でした。そんな中、実母・甄氏の死について上奏する者が現れます(これが事実で あれば、何者かの策謀があったということになります)。 「この皇帝は、男には優しいが女には厳しい」。甄氏の死によって皇后となり、あわせて曹叡の義母となった郭氏は、 曹叡をそう見ました。 その聡明さをもって曹丕に深く信頼された郭氏の見立ては正しかったのですが、それは、自身にも向けられることに なろうとは…。 郭氏と曹叡の関係は、おおむね良好でした。しかし、この上奏があってから、曹叡が郭氏を見る目が変わってきます。 「我が母を殺したのはあなただ」 たとえ最終的な判断は曹丕が行ったとはいえ、郭氏がそう仕向けたのではないか。曹叡の、郭氏に対する言動から、 そんな黒い情念が漂ってくるようになりました。曹叡の憎悪に慄いた郭氏は倒れ、ほどなく亡くなります。 ただ、いざ郭氏が亡くなると、その憎悪もきれいさっぱりと無くなりました(追悼もきちんとしているし、郭氏の 一族は引き続き厚遇されている)。それが帝王の資質と言えばそうなのかも知れませんが…。 ともあれ、聡明な曹叡がみせた影の部分。これが魏にいかなる影響をもたらすのか。文章表現以上に含みが感じられる ように思えます。
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