★『宮城谷三国志』総合スレッド★
282:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:18:31 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年09月)


今回のタイトルは「増築」。星落秋風五丈原の次の回にしては…と思うタイトルですが、ちゃんと意味があります。

まずは、諸葛亮の死後の蜀漢の情勢が語られます。
省21
283:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:19:56 ID:???0 [sage ]
続き。
この人事に不満を抱く者がいました。楊儀です。

先の撤退戦の指揮をとり、我こそは…と自負していたのですが、ポスト諸葛亮体制における彼の地位は、いわば閑職。
占いの卦は、「今はしばし雌伏の時」といった感じなのですが、この現実を受け入れられず、不満の塊となります。
(一応軍師という肩書なので、平時にあっては〜ということだと思うのですが…)
省18
284:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:21:49 ID:???0 [sage ]
続き。

楊儀の自滅は、実は、彼が嫌った魏延と同種のものでした。有能ではあれど、己の狭量のため、他者と協調できなかった
ことが、破滅につながったのです。
ともあれ、彼らのような人材を生かしきれなかった蜀漢には、衰退の兆しが…という具合です。

省19
285:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:25:49 ID:???0 [sage ]
続き。

曹叡が喪失したもの。それは、母でした。そんな中、実母・甄氏の死について上奏する者が現れます(これが事実で
あれば、何者かの策謀があったということになります)。
「この皇帝は、男には優しいが女には厳しい」。甄氏の死によって皇后となり、あわせて曹叡の義母となった郭氏は、
曹叡をそう見ました。
省19
286:左平(仮名)2010/11/04(木) 00:07:40 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年10月)

今回のタイトルは「燕王」。遼東情勢が一気に緊迫してきました。

魏の元号は、青龍から景初に変わりました。この間、蜀漢・呉とも大きな動きはなく、曹叡は、宮殿の造営に専念…と
いう具合です。
省23
287:左平(仮名)2010/11/04(木) 00:08:33 ID:???0 [sage ]
続き。

毌丘倹は、この時点では幽州刺史。長く中央の官位を歴任した後でのこの人事は、一見左遷のように見えますが、実は
曹叡の信任は揺らいでいません。幽州刺史になったのは、いわば、公孫淵討伐の殊勲を挙げさせようとした配慮。
そのことが分かっているだけに、毌丘倹はがぜん張り切ります。

省19
288:左平(仮名)2010/11/04(木) 00:09:10 ID:???0 [sage ]
続き。

何とか守り切った公孫淵。しかし、これで安心というわけにはいきません。遠からず、次の出兵があることは間違い
ないからです。兵力も増えるだろうし、将帥も、さらに上級の人物が充てられることは確実。勝てる要素は皆無なの
です。
ここで、公孫淵は、必死の外交攻勢に出ます。その使者は、呉にも派遣されました。
省26
289:左平(仮名)2010/12/06(月) 01:34:35 ID:???0 [sage ]
今回のタイトルは「長雨」。この長雨が止んだ時、それが…。

今回は、魏の皇后達の話から始まります。曹操の正室・卞氏は大皇太后として天寿を全うしましたが、以降の皇后に
ついては、というと、悲劇的な末路を辿るケースが相次いでいます。
曹丕の皇后であった甄氏は死を賜り、その後皇后となった郭氏は、曹叡(からの心理的な圧力)によって崩じます。
多くの面において父に勝る曹叡ですが、こと皇后達への扱いについては、さらに性質が悪いようです。
省20
290:左平(仮名)2010/12/06(月) 01:35:22 ID:???0 [sage ]
続き。

内においてはそのようなことがあり、また、築山を築くために大臣達に土を運ばせる(このことは董尋という人物に
強諌された)ということもありました。徐々にですが、曹叡という人物のマイナス面が顕在化しつつあります。

そんな中、ついに、遼東攻略が開始されます。将帥は司馬懿。地位といい、過去の戦歴といい、魏としてはこれ以上
省21
291:左平(仮名)2010/12/06(月) 01:36:17 ID:???0 [sage ]
続き。

そんな予感のせいばかりでもないでしょうが、司馬懿は、途中(郷里の温県)まで弟と息子を同道させます。温県に
おいては、ひとときの休息をとり、旧交を温めます。この時、彼の胸裏には何が去来したのか。
再び司令官の顔に戻ると、軍は北に進みます。幽州に入ると、もうすぐ戦地です。

省19
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