下
★『宮城谷三国志』総合スレッド★
288:左平(仮名)2010/11/04(木) 00:09:10 ID:???0 [sage ]
続き。
何とか守り切った公孫淵。しかし、これで安心というわけにはいきません。遠からず、次の出兵があることは間違い
ないからです。兵力も増えるだろうし、将帥も、さらに上級の人物が充てられることは確実。勝てる要素は皆無なの
です。
ここで、公孫淵は、必死の外交攻勢に出ます。その使者は、呉にも派遣されました。
省26
289:左平(仮名)2010/12/06(月) 01:34:35 ID:???0 [sage ]
今回のタイトルは「長雨」。この長雨が止んだ時、それが…。
今回は、魏の皇后達の話から始まります。曹操の正室・卞氏は大皇太后として天寿を全うしましたが、以降の皇后に
ついては、というと、悲劇的な末路を辿るケースが相次いでいます。
曹丕の皇后であった甄氏は死を賜り、その後皇后となった郭氏は、曹叡(からの心理的な圧力)によって崩じます。
多くの面において父に勝る曹叡ですが、こと皇后達への扱いについては、さらに性質が悪いようです。
省20
290:左平(仮名)2010/12/06(月) 01:35:22 ID:???0 [sage ]
続き。
内においてはそのようなことがあり、また、築山を築くために大臣達に土を運ばせる(このことは董尋という人物に
強諌された)ということもありました。徐々にですが、曹叡という人物のマイナス面が顕在化しつつあります。
そんな中、ついに、遼東攻略が開始されます。将帥は司馬懿。地位といい、過去の戦歴といい、魏としてはこれ以上
省21
291:左平(仮名)2010/12/06(月) 01:36:17 ID:???0 [sage ]
続き。
そんな予感のせいばかりでもないでしょうが、司馬懿は、途中(郷里の温県)まで弟と息子を同道させます。温県に
おいては、ひとときの休息をとり、旧交を温めます。この時、彼の胸裏には何が去来したのか。
再び司令官の顔に戻ると、軍は北に進みます。幽州に入ると、もうすぐ戦地です。
省19
292:左平(仮名)2010/12/06(月) 01:37:00 ID:???0 [sage ]
続き。
もはや打つ手なし。今はただ戦うのみ。卑衍の決死の覚悟が兵にも伝わったか、この戦いは激戦となります。互いに
策もなく、ただただ死力を尽くした攻防が繰り広げられます。
「これが、遼東国の存亡の分かれ目だな」
省21
293:左平(仮名)2011/01/06(木) 01:10:42 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年10月)
今回のタイトルは「曹叡」。魏にとって、祝賀すべき年が一転…
いよいよ遼東国の最期の時が来ようとしています。
この時、襄平には多数の民がいました(数十万と書かれています)。彼らの全てが兵であれば司馬懿の軍勢より遙かに
省22
294:左平(仮名)2011/01/06(木) 01:12:24 ID:???0 [sage ]
おっと、コピペミス。293の書き込みは三国志(2010年12月)です。
続き。
そんな中、星が落ちます。
「あのときは…」。諸葛亮が亡くなった時にもこのようなことがありました。星が落ちるということは、恒久的と思われて
省23
295:左平(仮名)2011/01/06(木) 01:12:51 ID:???0 [sage ]
続き。
これ以外にも、遼東国の高官達も殺されています。しかし、それ以外については、概ね寛容をもって対応。年内にかたが
つきました。
その知らせは、洛陽にもたらされ、曹叡は絶賛します。たとえ小国とはいえ一国の併呑に成功した(これにより、少なく
とも父・曹丕の業績を超えた)わけですから、感慨もひとしおだったことでしょう。
省19
296:左平(仮名)2011/01/07(金) 01:00:05 ID:???0 [sage ]
続き。
この人事によって発生する、宮廷内の権力構造の大変動が問題です。事実、この人事に危機感を持った者がいました。
長く皇帝の秘書官的な役割を果たしてきた、劉放・孫資です。
秦朗、曹肇の放言から、自分達を排除しようとする意図をかぎつけた二人は、曹叡に直訴し、詔勅を変更させることに
成功します。それに気付いた曹肇が再度詔勅を変更させますが、ここが勝負どころ、と見極めた劉放・孫資がふたたび
省21
297:左平(仮名)2011/01/29(土) 09:54:30 ID:???0 [sage ]
三国志(2011年01月)
今回のタイトルは「浮華」。三国鼎立となってから十年余り。そろそろ、緩みが出てきたということでしょうか…。
曹叡は、司馬懿を待っていましたかのように崩じました。司馬懿が到着し、彼に後事を託したその日のことです。
「死さえ忍べは引きのばすことができる。朕は君を待っていた」。帝王からこのように言われて感動しない臣下は
省21
上前次1-新書写板AA設索