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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
294:左平(仮名) 2011/01/06(木) 01:12:24 ID:???0 [sage ] おっと、コピペミス。293の書き込みは三国志(2010年12月)です。 続き。 そんな中、星が落ちます。 「あのときは…」。諸葛亮が亡くなった時にもこのようなことがありました。星が落ちるということは、恒久的と思われて いたものの消滅を意味するのです。ここでは、公孫淵がそうですが…。 城内にまで魏兵が入ると、公孫淵は子とともに脱出を図りますが、ほどなく捕捉され斬られました。ここにおいて、およそ 半世紀にわたって続いた遼東国は消滅しました(叔父の公孫恭は幽閉されていたところを救出される一方、兄の公孫晃は、 連座という形で妻子ともども自殺に追い込まれます)。 遼東国の消滅により、東方から中原へ至ることが可能になりました。このことを見越していたかのように、倭国からの使者 が来訪。いったい、どのようにしてこの情報を得たのか。歴史の不思議が、ここにあります。 ※ここでは、倭国とだけ書かれており、「邪馬台国」「卑弥呼」という単語は出てきませんでした。はて…。 さて、首魁たる公孫淵を斬ったわけですが…まだ戦後処理が残っています。ここで司馬懿がまずしたことは…。今であれば 間違いなく虐殺とされることでした。 城内の男子を十五歳を境に分け、年長の者を皆殺しにし、京観(凱旋門の類)を築いたのです。数千人の屍で築かれた凱旋 門…何とも凄惨な光景です。 絶望的な戦いであったにも関わらず、目立った内通者が出なかったことを考えると、遼東国の内政は割合うまくいっていた ようです。住民がそれを追慕することが無いよう、仕分けたのでしょうか。 続きます。
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