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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
316:左平(仮名) 2011/06/01(水) 01:58:51 ID:???0 [sage ] 続き。 事のおこりは、前々回の、王淩との戦いでした。敗走したとはいえ、こちらは朱然ほどの惨敗ではなかったようで、 かえって魏軍を退かせたりもしています。 勇戦して魏軍を退かせたのは全jの息子達でしたが、そのきっかけを作ったのは、張休(張昭の子)や顧承(顧譚 の弟)の奮戦でした。戦後の評価では、張休や顧承の方が高く評価されたのですが…全j達は、この評価に不満を 抱きます。 彼らは、孫権が病に臥して判断力が弱っているのをみて、張休や顧承への讒言を行います。それも数度にわたって 行われましたから、孫権は、すっかりその讒言を信じ込んでしまったのです。 そしてついに、張休や顧承が、罪なくして処罰されることになりました。先の諫言が容れられなかったことに憤って いた顧譚がさらに強諌すると、孫権は、彼をも処罰。 顧譚・顧承兄弟は辺境に流罪となり、ある小人に恨みを買っていた張休は、その讒言により処刑されます。 これだけでも大問題なのですが…この、王朝をずたずたに引き裂く裂け目に、丞相の陸遜までもが墜ちたのです。 名行政官たる顧雍が亡くなった後、陸遜は丞相に任ぜられました。とはいえ、魏との戦いが続く以上、任地を離れる わけにはいきません。かつての諸葛亮の如く、皇帝のおわす都から遠く離れた地で政務を行っていたわけですが… そんな陸遜に、都の変事が聞こえてきます。何と、吾粲までもが処刑されたというのです。 続きます。
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