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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
317:左平(仮名) 2011/06/01(水) 02:00:23 ID:???0 [sage ] 続き。 吾粲は、低い身分から累進して太子大傅にまでなった、呉の偉材の一人です。行政・軍事ともに優れた手腕を発揮する 一方、嵐に遭って乗船が沈み、溺れている兵士を、(巻き添えを恐れて他の船が見殺しにする中)自船の危険を顧みず 救出するなど、思いやりの心を持った名臣でした。 彼もまた、この情勢を憂い、孫権にしばしば諫言を呈していたのですが、かえって讒言に遭い、落命したのです。 このままではいけない。陸遜は、何度も上洛(して諫言すること)を請いますが、孫権は、理由を明示することなく、 それを却下します。あるいは、我が心(弟と待遇を同じくされるという屈辱に耐えかねて太子が自ら位を辞するよう 仕向けている)を忖度せよ、という暗黙の意思表示ではなかったか、と書かれていますが… 陸遜がさらに請うと、孫権はこれに激怒。ついに、陸遜は悶死するに至りました。 …以前の江夏諸郡での所業もあり、個人的には陸遜には好感は持っていませんが、国を支える重臣がこのような形で 亡くなるというのは、さすがに…。 ここまでみると、(本来はおかしい言い方ですが)太子派が一方的に弾圧されている格好ですが、この混乱は、まだ 続きます。全jや、(陸遜の死後に丞相となったがほどなく他界した)歩騭も、自身は穏やかに死ねたようですが…。 呉の不幸は、一方で魏の幸福。陸遜までもがただならぬ死を遂げたとなれば、呉国内の混乱は相当なものとみた王淩 は、馬茂という人物を埋伏として送り込み、孫権の暗殺をもくろみますが、これは失敗。 暗殺計画に怒った孫権が、朱然の意見を容れてまたしても魏との戦いが…。
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