★『宮城谷三国志』総合スレッド★
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あぼーん
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あぼーん
356:左平(仮名)@投稿 ★2011/12/03(土) 00:45:08 ID:bT4gIyLs0
三国志(2011年11月)


今回のタイトルは「交代」。いつの間にか世代交代の時期になっています。

司馬懿自らが兵を率いて南下中。それは、王淩を討伐する軍である。この知らせは、王淩を驚愕させました。挙兵しようにも、
省24
357:左平(仮名)@投稿 ★2011/12/03(土) 00:49:44 ID:bT4gIyLs0
続き。

これほどの大量処刑があったにも関わらず、百官からは、なお処罰が甘いという声があがりました。司馬氏が魏の実権を掌握
しつつあることを認識し、それに媚を売ろうとしたのです。
太尉として死んだ王淩や刺史として死んだ令狐愚の墓が暴かれ、遺骸は晒し者とされました(その後、直に埋められている)。
そんな中、馬隆は、かつて令狐愚の客であったことから、晒されていた遺骸を引き取って埋葬し、さらに喪に服しました。
省21
358:左平(仮名)@投稿 ★2011/12/03(土) 00:55:43 ID:bT4gIyLs0
続き。

この年、呉では災害が相次ぎました。当然、人々は不安に駆られるのですが、孫権がしたことといえば、大赦くらい。政務に
対する関心がすっかり失われていました。

そんな中、外出した孫権は発熱して寝込みます。孫権は高齢。万一のことがあれば…。ここでも、皇后となった潘氏や孫魯班
省37
359:左平(仮名)@投稿 ★2012/01/06(金) 01:19:39 ID:???0 [sage ]
三国志(2011年12月)


今回のタイトルは「晩光」。孫権がいよいよ最期のときを迎えるわけですが、曹操・劉備とは異なり、本人の知らぬところでの
政争が繰り広げられます。そのせいか、今回は、いささか違った雰囲気が。

省25
360:左平(仮名)@投稿 ★2012/01/06(金) 01:21:12 ID:???0 [sage ]
続き。

潘皇后が急逝したのです。看病疲れはあったにせよ、子の孫亮が幼いことからも分かるように、まだ若く特に持病もない皇后の
急逝に不審なものを感じた(首筋に痕跡があるのに気付いた)諸葛恪は、みずから調査にあたります。
不審者が侵入したのではないか。皇后の侍女に、ついで衛士に問うものの、そのような者はいませんでした。どこか衛士の死角
をついて侵入したのか、と周囲を調べますが、死角は見当たりません。
省21
361:左平(仮名)@投稿 ★2012/01/06(金) 01:22:50 ID:???0 [sage ]
続き。

皇后の急逝にも、どこかうつろな孫権。しかし、おのが死を自覚した孫権は、あらためて、後事を託すべき者達を招集します。
呼ばれたのは、諸葛恪、孫弘、滕胤、それに呂拠の四名(孫峻は、孫権の命をうけて招集する側)です。
孫権は、諸葛恪が独断に走らないよう、入念に指示をします。そこまで指示しないといけないのか、とも思いますが、そんな
諸葛恪にまさる臣下がいないがゆえのこと。
省24
362:左平(仮名)@投稿 ★2012/01/06(金) 01:25:12 ID:???0 [sage ]
続き。

孫権の死を確認した孫弘は、室外の衛士に指示を出すと、直ちに動き出しました。諸葛恪や孫峻に気付かれる前に、孫弘に
都合のよい遺詔をつくらねばならないのです。
しかし、ほどなく、孫峻がやってきました。衛士に阻まれた孫峻が諸葛恪を呼び、兵を引き連れた諸葛恪が衛士を制して中
に入ると…。
省19
1-AA