★『宮城谷三国志』総合スレッド★
365:左平(仮名)@投稿 ★2012/02/04(土) 02:34:00 ID:???0 [sage ]
続き。

その一大事とは…費禕の急死でした。ただの死ではありません。宮中で殺害されたのです。

超人的な記憶力と事務処理能力を持ちながらも、自らが諸葛亮に及ばないとみていた費禕は、無理な軍事行動は控えました。
その分は内政の重視に向けられ、蜀漢はしばしの休息の時を享受します。
費禕は、蜀漢にとってかけがえのない人物でした。それゆえ、身辺にはご注意いただきたい。名将・張嶷はそう忠告したの
ですが…魏の降将に高位を与え宮中に出仕させたことが、仇となりました。

費禕の死により、積極路線の姜維の発言力が強くなりました。費禕と姜維は、ともに諸葛亮を篤く尊敬していたのですが、
その見るところは異なっていました。費禕は、その並外れた政治手腕と公正さに、姜維は、大敵・魏に敢然と立ち向かった
雄姿に、憧れていたのです。

諸葛恪からの使者が蜀漢に至ったのは、ちょうどそんな折のことでした。姜維はこれを承諾し、皇帝・劉禅もこれを是認。
ひとりこれを危惧した張嶷は、諸葛恪のいとこにあたる諸葛瞻に書状を出しました。(父に及ばないことを自覚しているが
故に)誠実なことで知られたいとこの言葉なら、むげには扱わないだろうと見越してのことです。
しかし、皇帝が是認した以上、出師は止められません。

ついに、両国の軍勢が出陣しました。魏の宮中は騒然。司馬師は、またしても大きな決断を迫られることになります。
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