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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
366:左平(仮名)@投稿 ★2012/02/04(土) 02:39:18 ID:???0 [sage ] AAS
追記。
今回の時点では結末は描かれていませんが、司馬師と諸葛恪の明暗が交錯しているような印象があります。
前半に描かれた戦いでは、司馬師は、十分な兵力をもってすればまあ良かろうとやや軽く考えており、魏軍も、大軍故に
寡兵の丁奉を侮りました。一方、諸葛恪は、彼には珍しく人の意見に耳を傾け、慎重に対応。
省14
367:左平(仮名)@投稿 ★2012/03/04(日) 21:52:22 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2012年02月)
今回のタイトルは「敗残」。才子が才に溺れて失敗し、一方で…。
諸葛恪は、二十万と号する大軍をもって合肥を攻めます。蜀漢との連携、十分な軍勢、綿密な偵察。そのあたりの準備は
省24
368:左平(仮名)@投稿 ★2012/03/04(日) 21:55:44 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
兵法においては、敵の虚を撃つことを重視します。江南を攻める呉と西域を攻める蜀漢とでは、明らかに、前者の方が
魏にとって重要です。いかに大国とはいえ、両面作戦をとることは難しい以上、どちらかを優先させねばなりません。
となれば、より重要な方である前者を優先するのが道理なわけですが、しかしそれ故に、後者には(こちらは後回しに
されるに違いない)という予断があります。それこそが、虚。
省21
369:左平(仮名)@投稿 ★2012/03/04(日) 21:59:36 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
姜維が撤退したことで、魏への脅威は、合肥を攻める呉軍に絞られました。しかし、司馬師は、まだ動きません。そう
して、開戦から九十日が経過しました。
魏・呉両軍とも、そろそろ限界に近づいていました。そんな中、守将の張特が、諸葛恪に面会を求めてきました。これ
省21
370:左平(仮名)@投稿 ★2012/03/04(日) 22:02:04 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
諦めきれない諸葛恪は、帰還するのをためらい、屯田をしようか、などと言い出します。しかし、その軍は、あくまで
皇帝から授かった国軍であって、諸葛恪が好き勝手に扱ってよいものではありません。
このことを知らされた孫峻は、繰り返し詔勅を出させることで、何とか諸葛恪を帰還させました。しかし、いたずらに
省14
371:左平(仮名)@投稿 ★2012/03/04(日) 22:04:55 ID:???0 [sage ] AAS
追記。
司馬懿、孫権が世を去り、曹操や劉備の時代を知る者は殆どいなくなりました、歴史上は、まだ三国時代の真っただ中
なのですが、一般的な、物語としての三国志の時代は既に去っていると言えます。
それと関係あるのかどうかは分かりませんが、先の卑衍といい、今回の張特といい、普通は目立たない存在の人々に、
省21
372:左平(仮名)@投稿 ★2012/04/01(日) 02:51:29 ID:???0 [sage ] AAS
回のタイトルは「大政」。「大政」とくると「大政奉還」が思い浮かびますが、このような大事がそうそう平穏無事に
行われるわけもなく…。
諸葛恪の専横を苦々しく思っているのは、孫峻のみではありません。幼くして皇帝となった孫亮も、そうでした。先帝が
崩じてからまだ間もないというのに、大々的に戦を行い、しかも大敗。さらに、それへの反省もなく…となれば、不快に
思うのも当然でしょう。
省17
373:左平(仮名)@投稿 ★2012/04/01(日) 02:54:45 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
その日が来ました。やはり、諸葛恪の周囲に変事が発生します。どうにも血腥いのです。諸葛恪に親しい人々からも、何
か不穏なものを感じるので警戒すべきとの忠告がなされました。最大限の用心をして宴に臨むことにした諸葛恪ですが、
なぜか、宴に行かないという選択はしませんでした。不穏なものを恐れるあまり宴に行かなかったと思われるのを恐れた
のでしょうか。
省17
374:左平(仮名)@投稿 ★2012/04/01(日) 02:56:45 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
ここでの孫峻は、手際が良く、かつ容赦ありません。諸葛恪の死に動揺する一族を、あっさりと殲滅したのです。都を
遠く離れており、のんびりと過ごしていた諸葛融達も、例外ではありませんでした。
孫堅の弟・孫静の曾孫という微妙な存在であった孫峻は、こうして大権を掌握しました。
このクーデターにおいてはみごとな采配をみせた孫峻でしたが、その後は驕慢になります。聡明とはいえ、幼弱な孫亮
省18
375:左平(仮名)@投稿 ★2012/04/01(日) 02:59:11 ID:???0 [sage ] AAS
追記。
今回、諸葛恪が破滅したわけですが…これだけの変異があり、本人も危機感を持って臨んだのに、最期は呆気ないもの
でした。度重なる失策に加え、諫言する人々を遠ざけた末のことですから、本人については自業自得ですが、一族ごと
殲滅されたのは、どうにも後味が悪いものがあります。
遊び好きで、人と仲良くやってきたはずの諸葛融も、助けてくれる者が現れなかった(本人は自害ですが脱出を図った
省10
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