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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
378:左平(仮名)@投稿 ★ 2012/05/03(木) 02:21:36 ID:???0 [sage ] 続き。 李豊の屍体は、廷尉の鍾毓のところに運ばれました。あの鍾繇の子にして、父の名に恥じぬ篤実な人物である鍾毓は、李 豊の死にただならぬものを感じます。 司馬師が殺させたことは明らか。常人であればその威勢を恐れて意のままになるところですが、大将軍としての公式な文 書がない以上、これは私刑によるものであるゆえ、受け取れない、ときっぱり拒否したのです。 これを聞いた司馬師は、怒るどころか、むしろ喜びました。鍾毓が、きちんと法度に基づいて職務にあたっていることが 分かったからです。 なお、文書が整い、李豊の死が公的なものとなると、その死体は受け取られました。 これをうけて、すみやかに、法度にのっとった処断が下されました。 李豊、張緝の一族は滅ぼされました(李豊の甥は幼年のため処刑は免れたようです。なお、公主をめとっていた李韜は、 形式上は自害)。宦官達も処刑され、鍾毓による、夏侯玄への尋問が行われます。 名士・夏侯玄をも処断せねばならぬことを分かっている鍾毓は、哀しみました。彼ならば、あるいは司馬師以上の政治を 行う可能性もあるのです。ですが、法度は枉げられません。 李豊の死に、曹芳は怒りを露わにしました。李豊の計画は知らなかったようですが、側近がいきなり殺されたのですから 穏やかならぬことは分かるのですが、この反応に対する周囲の目は冷ややかなものでした。 曹芳の徳のなさをみた司馬師は、ついに皇帝廃立を考えるようになります。しかし現状ではまだ時期尚早。いかに大将軍 とはいえ、容易なことではないのです。 続きます。
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