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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
387:左平(仮名)@投稿 ★2012/07/01(日) 04:01:47 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
二人の決起には、皇帝をないがしろにする司馬師を除く、という大義名分がありました。また、そのために、偽造とはいえ皇太后の
詔を持ち出しました。それでも、決起する際に、人々を軟禁状態に置いたうえで誓いを立てさせる等の強行手段を取らざるを得ない
あたり、この決起の危うさを物語っています。
とはいえ、数万の兵を擁した、大規模な内乱の発生です。この頃、司馬師は、目の上の瘤を切除したばかりで療養中だったのですが、
早速、対応に悩むこととなります。
叛乱の規模からすると、大将軍たる自分が行くべき案件ですが、病み上がりの身には堪えます。地位等でいえば、叔父の司馬孚でも
良いのですが、堅実とはいえ応変の才には欠ける司馬孚を遣わすことには、いささかの不安があります。
これについて、司馬師は二人の意見を聞くこととなります。
まず一人目は、王粛です。魏建国の元勲・王朗の子にして優れた学者でもある彼には、あえて直截的な聞き方はしませんでしたが、
その回答は、戦の本質を突いたものでした。
王粛は、かつての関羽の例を挙げ、こちらが敵方の家族を抑えている以上、彼らはやがて自壊する、と看破しました。それならば、
司馬孚がそつなくこなすであろう、と、療養に専念しようとします。
しかし、その後、二人目の傅嘏が来ます。彼は、司馬師自らが行かなければ敵に勢いを与えてしまうことになる、と強諫します。
大局的にみれば王粛の言う通りですが、確かに、「騎虎の勢い」ということもありますから、用心するに越したことはありません。
司馬師は、戦場に赴くことにしました。
となると、都・洛陽が空きます。曹髦がこのことをどうみるか。傅嘏の懸念は、そこにもありました。
続きます。
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