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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
410:左平(仮名)@投稿 ★2012/12/02(日) 23:01:50 ID:???0 [sage ]
続き。
城内の全懌達に、魏に降るよう説得してもらいたい、というのです。
全jの死後、家督を継いだ全懌が魏に降るとなれば、その影響は計り知れないものがあります。将兵の犠牲を減らすのに、
これほどの策はそうそうないでしょう。
省20
411:左平(仮名)@投稿 ★2012/12/02(日) 23:03:56 ID:???0 [sage ]
続き。
全懌は、ついに、魏に降ることを決意しました。息子達や、従兄弟の全端も、ともに亡命します。
しかし、自分たちだけが城外に出るのでは、置き去りにされた兵がどうなるかわかりません。全懌は、兵達と一緒に、
城外に出ました(もちろん、司馬昭に事前承認を得た上で、です)。
省15
412:左平(仮名)@投稿 ★2012/12/02(日) 23:05:00 ID:???0 [sage ]
追記。
全j以外の全氏は、ゲーム等では、目も当てられないような低数値にされがちですが、今回の全懌は、父の全jや
兄の全緒にも見劣りしない人物として描かれていたように思います。
数千の兵の命を守るため、あえて難しい方法を選んだ全懌の行動は、見事なものでした。
寛容をもって接した司馬昭の勝利と言えるでしょう(それだけに、諸葛誕の決起の遠因となった曹爽派の処断には
すっきりしないものを感じるのですが)。
省10
413:左平(仮名)@投稿 ★2013/01/01(火) 00:22:54 ID:???0 [sage ]
今回は三国志は休載でした(文藝春秋の90周年特別号、ということです)。
414:左平(仮名)@投稿 ★2013/02/08(金) 06:51:20 ID:???0 [sage ]
三国志(2013年01月)
今回のタイトルは「孫亮」。諸葛誕の決起がついに決着します。とともに、呉に動きが…。
文俶達は、寿春城内の小城に起居していましたが、ここに諸葛誕の軍勢が迫ります。数百も手勢があれば、諸葛誕を
殺して父の仇を討てる、と思った文俶でしたが、兵達は恐慌を来たし、我先にと逃げ散る有様。
省25
415:左平(仮名)@投稿 ★2013/02/08(金) 06:52:48 ID:???0 [sage ]
続き。
諸葛誕は戦死し、決起は鎮定されました。彼に最期まで付き従った兵達は、たれ一人として助命を願うことなく、
処刑されました。哀しい場面ですが、ある種の美学があります。
城内に残された呉の将兵達は、司馬昭の寛弘に感じ入り、多くはそのまま降りました。年を越えて続いたこの戦いは、
司馬昭の完全勝利に終わったのです。
省22
416:左平(仮名)@投稿 ★2013/02/08(金) 06:54:14 ID:???0 [sage ]
続き。
いよいよ計画が固まった頃合いを見て、孫亮は、全尚にことを打ち明け、協力を求めました。もちろん、妻には極秘で
あると念押しをして。
しかし、彼女に感付かれた全尚は、このことを話してしまいます。彼女は、直ちに急使を孫綝に派遣。孫綝は、間一髪の
ところで命拾いをしました。
省19
417:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:01:31 ID:???0 [sage ]
三国志(2013年02月)
今回のタイトルは「孫綝」。孫権の晩年から続いた呉の混乱が、ようやく終息します。
孫亮が気付いた時には、宮殿は包囲されていました。打って出ることもままならず、玉璽を差し出すことしかできません。
省24
418:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:02:38 ID:???0 [sage ]
続き。
当初、ゆっくりと都に向かっていた孫休ですが、道中で出会った老人の言葉をうけ、急行します。そして、いよいよ即位。
あのおとなしかったお方が、かくも堂々と…。さすがは皇子であらせられる。側近たちを感心させる変貌を見せます。
かくして即位した孫休ですが、この時点では、孫綝の傀儡でしかありません。まずは、彼らに地位や恩賞をばらまいて、
省19
419:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:04:20 ID:???0 [sage ]
続き。
臘日。この日こそが、孫綝を除くことができる、唯一のときでした。
この日、参内を前にした孫綝は妙な不安を抱きますが、すみやかに退出できるよう図った上で、参内することとしました。
参内をせかす急使が何度も来たことにもう少し不審を抱いてもおかしくないところですが、これは、ここまで孫休が孫綝
省19
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