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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
415:左平(仮名)@投稿 ★2013/02/08(金) 06:52:48 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
諸葛誕は戦死し、決起は鎮定されました。彼に最期まで付き従った兵達は、たれ一人として助命を願うことなく、
処刑されました。哀しい場面ですが、ある種の美学があります。
城内に残された呉の将兵達は、司馬昭の寛弘に感じ入り、多くはそのまま降りました。年を越えて続いたこの戦いは、
司馬昭の完全勝利に終わったのです。
省22
416:左平(仮名)@投稿 ★2013/02/08(金) 06:54:14 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
いよいよ計画が固まった頃合いを見て、孫亮は、全尚にことを打ち明け、協力を求めました。もちろん、妻には極秘で
あると念押しをして。
しかし、彼女に感付かれた全尚は、このことを話してしまいます。彼女は、直ちに急使を孫綝に派遣。孫綝は、間一髪の
ところで命拾いをしました。
省19
417:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:01:31 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2013年02月)
今回のタイトルは「孫綝」。孫権の晩年から続いた呉の混乱が、ようやく終息します。
孫亮が気付いた時には、宮殿は包囲されていました。打って出ることもままならず、玉璽を差し出すことしかできません。
省24
418:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:02:38 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
当初、ゆっくりと都に向かっていた孫休ですが、道中で出会った老人の言葉をうけ、急行します。そして、いよいよ即位。
あのおとなしかったお方が、かくも堂々と…。さすがは皇子であらせられる。側近たちを感心させる変貌を見せます。
かくして即位した孫休ですが、この時点では、孫綝の傀儡でしかありません。まずは、彼らに地位や恩賞をばらまいて、
省19
419:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:04:20 ID:???0 [sage ] AAS
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臘日。この日こそが、孫綝を除くことができる、唯一のときでした。
この日、参内を前にした孫綝は妙な不安を抱きますが、すみやかに退出できるよう図った上で、参内することとしました。
参内をせかす急使が何度も来たことにもう少し不審を抱いてもおかしくないところですが、これは、ここまで孫休が孫綝
省19
420:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:20:32 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2013年03月)
今回のタイトルは「好戦」。魏と蜀漢の好戦的な人々の話、といったところでしょうか。
まず最初に、孫休が孫綝を滅ぼした(西暦258年)時点での、各国の皇帝の年齢について触れられています。魏は、曹髦18歳。
省25
421:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:29:19 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
この時、曹髦はかなり昂奮していました。普段は、学問を好む理知的な人物という感じですが、実のところは、かなりの激情家で
あったのではないでしょうか(ただし、全く理性が吹っ飛ぶというわけではない)。
確かに、これは無謀なことです。しかし、これまで異常なほどに正当性にこだわってきた司馬氏が相手である以上、勝算がゼロと
いうわけでもないのです(皇帝の尊厳が保たれているのであれば、皇帝自ら陣頭に立てば臣下は手出しができないはず。となれば、
省22
422:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:32:49 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
最悪の事態も覚悟していた司馬昭でしたが、さすがにこの結末に対する衝撃は大きいものがありました。叔父の司馬孚が直ちに
哭泣して(皇帝と司馬氏の間に深刻な対立があったわけではないと)アピールしたこと、皇太后が曹髦を悪逆であったと罵った
ことで、ひとまず落ち着きを取り戻したのですが、何かすっきりしないものが残ったのも、また事実です。
省21
423:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:38:50 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
さて、次の皇帝を擁立する必要が生じたわけですが…。もう、我の強い人物はこりごりです。結局、おとなしいとみられた曹奐
(燕王・曹宇の子)が選ばれました。
一方、蜀漢の方は、というと…。姜維は、さして成果の上がらない出兵を繰り返していました。姜維の相手はケ艾ですが、彼は
省24
424:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:17:31 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2013年04月)
今回のタイトルは「劉禅」。ついに、三国の一角が潰えるときがきました。
鍾会を総司令官とする蜀漢への侵攻作戦については、前線にいる姜維は薄々感付いていました。しかし、蜀漢の中央には厭戦
省21
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