★『宮城谷三国志』総合スレッド★
421:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:29:19 ID:???0 [sage ]
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この時、曹髦はかなり昂奮していました。普段は、学問を好む理知的な人物という感じですが、実のところは、かなりの激情家で
あったのではないでしょうか(ただし、全く理性が吹っ飛ぶというわけではない)。
確かに、これは無謀なことです。しかし、これまで異常なほどに正当性にこだわってきた司馬氏が相手である以上、勝算がゼロと
いうわけでもないのです(皇帝の尊厳が保たれているのであれば、皇帝自ら陣頭に立てば臣下は手出しができないはず。となれば、
省22
422:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:32:49 ID:???0 [sage ]
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最悪の事態も覚悟していた司馬昭でしたが、さすがにこの結末に対する衝撃は大きいものがありました。叔父の司馬孚が直ちに
哭泣して(皇帝と司馬氏の間に深刻な対立があったわけではないと)アピールしたこと、皇太后が曹髦を悪逆であったと罵った
ことで、ひとまず落ち着きを取り戻したのですが、何かすっきりしないものが残ったのも、また事実です。

省21
423:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:38:50 ID:???0 [sage ]
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さて、次の皇帝を擁立する必要が生じたわけですが…。もう、我の強い人物はこりごりです。結局、おとなしいとみられた曹奐
(燕王・曹宇の子)が選ばれました。

一方、蜀漢の方は、というと…。姜維は、さして成果の上がらない出兵を繰り返していました。姜維の相手はケ艾ですが、彼は
省24
424:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:17:31 ID:???0 [sage ]
三国志(2013年04月)


今回のタイトルは「劉禅」。ついに、三国の一角が潰えるときがきました。

鍾会を総司令官とする蜀漢への侵攻作戦については、前線にいる姜維は薄々感付いていました。しかし、蜀漢の中央には厭戦
省21
425:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:20:12 ID:???0 [sage ]
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鍾会率いる主力軍が姜維に足止めを食らっているのをみたケ艾は、自身に割り当てられた侵攻ルートを変更し、一気に蜀漢の
要所に攻め入ることを思いつきました。
もちろん独断ではなく、洛陽にいる司馬昭の許しは得たのですが、たとえ自身に無断ではなかったとしても、鍾会には面白く
ないことです。成功すれば、ケ艾に大功を立てさせる(自身はその補助に過ぎなくなってしまう)のですから、無理もないの
省18
426:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:23:05 ID:???0 [sage ]
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諸葛瞻は諸葛亮の子で、幼少の頃より、父の偉大さを聞かされて育ってきた人物です。彼への期待は大きかったのですが、
器量については父には及びませんでした(黄皓の専横を止められなかった、等)。
とはいえ、国への忠義は父の名に恥じません。その決死の戦いぶりは、明らかに劣勢であるにもかかわらず、一度はケ艾の
軍勢を退かせたのです。
省18
427:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:25:06 ID:???0 [sage ]
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譙周という人の評価は難しいところです。学者としては優秀です(三国志の著者・陳寿の師でもある)し、この時の意見も
正論です。しかし…国家への忠誠、という点では、どうも引っかかります。

とはいえ、彼の意見は、(この状況下では)十分過ぎるほど理に叶ったものでした。前線の状況が分からない以上、ケ艾と
省25
428:左平(仮名)@投稿 ★2013/06/10(月) 07:47:00 ID:???0 [sage ]
三国志(2013年05月)


今回のタイトルは「滅亡」。今回が、真の意味での蜀漢の最期、なのでしょうか。しかし、それだけでもないような。

ケ艾は、この戦いに臨む際に夢をみました。爰邵という人に問うたところ、成果はあがるが…という解釈。吉か不吉か
省19
429:左平(仮名)@投稿 ★2013/06/10(月) 07:48:18 ID:???0 [sage ]
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さすがのケ艾も、これには為すすべもありません。三公にまで登りつめた直後のこの仕打ちなのです。しかし、本当の
「滅亡」は、これからでした。

さて、鍾会と激戦を繰り広げていた姜維は、成都付近に敵が現れたとの知らせを受け、急行しましたが…途中で皇帝が
省15
430:左平(仮名)@投稿 ★2013/06/10(月) 07:51:37 ID:???0 [sage ]
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かつて傅嘏が危惧していたように、鍾会は、己の才智に驕っていました。姜維が降ったことで、自身が率いる大軍に
加えて蜀漢の精鋭も手に入れられる、となると…結構な兵力になるわけでして、要害の蜀の地に拠れば、あるいは…
と思ったようです。
ケ艾への讒言も、彼の暴走を危惧して、というようなことではなく、嫉妬と、邪魔者は…というものでした。
省18
1-AA