下
★『宮城谷三国志』総合スレッド★
424:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:17:31 ID:???0 [sage ]
三国志(2013年04月)
今回のタイトルは「劉禅」。ついに、三国の一角が潰えるときがきました。
鍾会を総司令官とする蜀漢への侵攻作戦については、前線にいる姜維は薄々感付いていました。しかし、蜀漢の中央には厭戦
気分が横溢したこともあり、迎撃態勢の構築は不十分でした。
宦官の黄皓の影響はあったにせよ、皇帝たる劉禅に緩みがあったことは否めません(ただ、この時点で在位四十年。歴代皇帝
の中でも長い部類ですから、無理からぬところではある、という点も言及されています)。
そして、ついに侵攻作戦が開始されました。蜀漢領内への侵入自体は容易で、(粗漏のあった許儀を斬る等)軍紀にも厳しい
魏軍の進撃は、まずは順調に進みました。
面白いことに、鍾会には諸葛亮や蔣琬への敬意があり、侵攻作戦の一環とはいえ、蔣琬の子・蔣斌に丁重な書簡を送ったりも
しています(返信も受けています)。姜維にも同様の書簡を送ったのですが…これは無視されました。
姜維は、優れた人材として、名指しで諸葛亮に絶賛されたことを終生の誇りとしていました。それゆえ、諸葛亮に敬意を抱く
(という姿勢を見せる)とはいえ、彼が守り通した蜀漢を侵さんとする鍾会には、強烈な敵意を隠しません。
政治的な感覚はない(それゆえ成果に乏しい戦いを繰り返すことになった)とはいえ、優秀な武将です。領内への侵入を許し
はしましたが、険阻な蜀の地の利を生かし、鍾会の大軍を巧みに食い止めます。
続きます。
上前次1-新書写板AA設索