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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
426:左平(仮名)@投稿 ★ 2013/05/08(水) 00:23:05 ID:???0 [sage ] 続き。 諸葛瞻は諸葛亮の子で、幼少の頃より、父の偉大さを聞かされて育ってきた人物です。彼への期待は大きかったのですが、 器量については父には及びませんでした(黄皓の専横を止められなかった、等)。 とはいえ、国への忠義は父の名に恥じません。その決死の戦いぶりは、明らかに劣勢であるにもかかわらず、一度はケ艾の 軍勢を退かせたのです。 しかし、時の勢いの差は如何ともしがたく、ついに戦死。ケ艾の軍勢は、成都近郊にまで至ります。 当然ながら、蜀漢の宮廷は大混乱に陥ります。魏に降るべきか、南方に逃れるべきか。籠城する、という選択肢が挙がら なかったのは確かに不思議ではありますが、首都近郊にまで敵軍が来た以上は、籠城しても勝ち目がない、と判断しても おかしくはないところです。 通常、自軍の軍勢が健在であれば、敵軍がここまで来るはずはない、と考えるでしょうからね。あと、呉に降っては… という声もありましたが、すぐさま却下されました。同盟関係にあるとはいえ、先帝の仇ともいえる呉は、信頼できる 相手ではないのです。 意見はいろいろありますが、猶予はありません。ここで議論の流れを決定づけたのは、譙周でした。 続きます。
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