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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
432:左平(仮名)@投稿 ★2013/07/21(日) 00:26:50 ID:f69prmJ00AAS
続き。
比類なき大功を挙げながら非業の最期を遂げたケ艾ですが、一族のその後は、さらに過酷なものとなりました。ようやく
許されたとき、晋の世(=司馬昭の死後)となっていたのです。
ケ艾は無実でした(少なくとも、死に値するような罪を犯したわけではありません)。しかし、比類なき大功それ自体が、
やがて司馬昭を脅かしかねないものとなっていたことが、彼の運命を暗転させることとなりました。
省21
433:左平(仮名)@投稿 ★2013/07/21(日) 00:28:42 ID:f69prmJ00AAS
続き。
劉禅は安楽公に封ぜられました。宴の席で「ここは楽しい。蜀の地を思い出すことはない」と発言したことに司馬昭は
驚きますが、その真意に気付いたかどうか。
愚昧と蔑まされることに耐えられれば、小国の皇帝という重圧から解放されたという気楽さがあるのは確かですが、幼
少期から過ごしてきた、故郷と言ってもよい蜀の地を思い出さない、ということはあるのでしょうか。そうであれば、
省22
434:左平(仮名)@投稿 ★2013/07/21(日) 00:31:03 ID:f69prmJ00AAS
続き。
同盟国を失った呉は、大いに動揺したものと思われます。それから程なく皇帝・孫休が崩じると、幼少とはいえ太子が
いるにもかかわらず、孫皓をたてたのですから。
孫休は、先に孫綝を倒したことからも分かるように、無能ではありません。しかし、国内が落ち着いたと感じると学問
に耽る等、消極的な人物でした。一方で、孫皓は、積極的(に見える)人物だったのを期待されたのでしょうが、一つ
省21
435:左平(仮名)@投稿 ★2013/07/21(日) 00:33:21 ID:f69prmJ00AAS
続き。
おのれが何を為したか。天、地、そして自分。この三者が知っていればよいのではないか。司馬昭はそうも思いますが…
やはり「子(なんじ)」は必要なのです。天地のような全くの第三者ではない、しかし自分でもない、他者が。
「その存在がなければ、歴史も、物語も、ありえない。」
省12
436:投稿 ★2018/01/13(土) 19:32:31 ID:5Jm+vDrc0AAS
人いるの?
437:投稿 ★2018/06/08(金) 13:37:14 ID:vj9h6Bpk0AAS
俺がいるぞ 語ろう
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