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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
48:2002/11/02(土) 17:03
左平(仮名)
◆三国の始祖 そろい踏み 今回の宮城谷三国志◆
今日は木曜。「蒼天」が読めます。また、10日。「宮城谷三国志」が読めます。
「蒼天」は玉川さんも読まれるので…先にこちらを書き込みます。
前ヶ回は曹操の誕生。前回は孫堅の誕生。とくれば、今回は劉備の誕生かな?と思いましたら、そうでした。
舎(いえ)の東南にある桑の木、字の「玄徳」…。背後に、老荘的な感覚が?との指摘、やはり宮城谷氏ならではのものです。
また、孫堅の生年問題が発覚。「初平四(193)年正月七日に死亡」と「(享年)三十七であった」という記述を両方信用すると、前回の「永寿三(157)年生まれ」となるのですが、「永寿元(155)年生まれ→中国での有力説」と「永寿ニ(156)年生まれ→日本での有力説」とあるそうで、宮城谷氏も、迷った末に「これからは、永寿ニ年生まれとして話を進める」とされていました。
跋扈将軍は斃死しました。とはいえ、宦官しか信用できない桓帝は、やはり愚昧。宦官達は贅を競い、法を踏みにじる。諌言する者を弾圧するという有様。かつての安帝と同じ過ちを繰り返します。
そういう王朝の衰勢をみた羌族は相次いで蜂起。今回は、羌族と戦う名将達が語られています。
董卓の伝にその名が見える段ケイ【ヒ+火+頁】。そして、皇甫規。皇甫規?安定の人といいますから、あの皇甫嵩の父?どうなんでしょうか。
また、「第五」氏が登場しています。なんでも、斉の田氏が、高祖の陵の近くに集団移住した結果、周りが田氏ばかりとなった為、区別する為に「第一」「第二」氏と呼ぶ様になったのだとか。…初めて知りました。
さらに! 覚えておられますか、あの楊震を。その子・楊秉が再登場しているのです(この回でもう亡くなってますが)。
第一次党錮は、次回か次々回か。さて?
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