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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
91:左平(仮名) 2003/08/11(月) 21:50 今回は、いきなり陰謀から始まります。合肥侯擁立未遂事件です。その一員には、あの陳蕃の子・陳逸の名も。曹操も誘われますが、拒否しています。 …ちくまの和訳では、この合肥侯は劉氏の一人であろうとしているのですが、宮城谷氏は違うと断言しています(後漢建国の功臣の一人の子孫らしいのですが、まだきちんと読んでなくて…)。 はて?後漢書を確認しないと。 西に目を向けると、王国・韓遂の乱が続いています。自らの勢力を涵養せんとする董卓が気乗り薄な中、皇甫嵩は敢然と戦い、みごと勝利。この後、二人の関係は悪化するそうで(まぁ、董卓からすれば面目を潰されたわけですから無理もありません)。 アサハルさんがまた喜びそうな?描かれ方です。 そんな中、霊帝が崩じます。桓帝に(宋皇后を死に追いやった事、桓帝の実弟・渤海王劉カイ【小+里】を自殺に追い込んだ事を)叱責される夢を見た直後に、といいますから、はなはだ格好悪いです。まさしく悪い意味での「霊」に相応しい最期。 後継者問題一つまともに処理してないのですから…。霊帝については、今までの三国志の中でも、最も情けない描かれ方ではないかと思えます。 その前の行動を指して、秦滅亡前夜を思わせる、とも…。 そして、何進と宦官達との暗闘の中、次回へ。いよいよ、風雲急を告げています。 そうそう、味好漢の一人が登場してましたよ。曹操と荀揩高く評価し、袁術にはなぜか憎まれた、あの人です。
92:左平(仮名) 2003/08/11(月) 22:14 中央研究院で後漢書をチェックしました。確か「堅」って姓だった様な…で探しましたら、ありました。 後漢書/列傳/卷二十二 朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二/堅鐔というのが。 「(建武)六年,定封合肥侯.二十六年,卒.子鴻嗣.鴻卒,子浮嗣.浮卒,子雅嗣.」とあります。 しかし、そうなると、このク−デタ−未遂って、かなりのものでは…。もし事実なら、えらい事です。
93:★ぐっこ 2003/08/13(水) 20:18 ほう!ようやく劉宏崩御ですか!や――――っとこさ、馴染みのある三国志になった カンジですな! 実際、皇甫嵩ほか何人かの良将だけが気を吐いていた時代でしたよねえ…。 もうすでに半独立勢力じみていた董卓の兵団しかり、退廃的で自滅したとしか思えない 後漢王朝末期のドロドロした雰囲気が解るような気がします。 そんな中で、袁紹や袁術がどのような役割を果たしてゆくのか、いよいよ楽しみなカンジ。 早く読みたいな…。宮城谷先生って、何進をどう描いてましたっけ?私は「気分だけは竇武」 みたいな、平凡人が一生懸命背伸びしてる姿を想像してるわけですが… >合肥侯擁立事件 ( ̄□ ̄;)!! 私も皇族の誰かを立てる宮廷クーデーター程度と思ってましたわ! 劉氏以外を立てるのだとしたら、本当に大逆に当たる本格的な武力革命。 もし本当に別姓の皇帝を立てる反逆であるとすれば、いかに許攸がいたとはいえ、 よく曹操とか華歆とかに情報を漏らしたな と呆れるばかり。誰だって逃げ出すような。
94:★ぐっこ 2003/08/29(金) 00:26 ぐあ、書くの忘れてましたが、 何顒先輩カコイイ! で宜しいか諸兄?
95:左平(仮名) 2003/09/10(水) 22:53 今回は、遂に!です。ただし、まだその事件の前半部といったところ。 宦官勢力の殲滅を叫ぶ袁紹、それに反対する家族(といっても血のつながりはない)との間で揺れ動く大将軍・何進。父・真の死後、血縁という意味では孤独の中にいる彼は、博愛精神の持ち主として描かれています。いわゆる「いいひと」ですね。しかし、それと器の大きさとはまた別物。機能していない朝廷に愚直に仕えた皇甫嵩もそうですが、「産まれた時代が悪かった」としか言い様がないです。 一方、袁紹は、危険を承知の上敢えて董卓を招こうとします。圧倒的な軍事力をもって何太后を威圧しようとしたわけです。 しかし、こうしてみると、皇太后の無知と無理解が悲劇を招いているというわけで…。外戚の専横(その結果として王莽による新朝成立)という苦い経験を経て成立したはずの後漢がそれに対しての備えを怠っていたという点で、光武帝の限界が指摘されます。 何進は、そんな危うい状況の中で殺害され、そこからなしくずし的に宮中は大混乱に陥っていきます。宮中の混乱→戦闘が翌々日まで続いたというのは初耳でした。 話とは関係ないですが、呉班の父・呉匡とともに何進の属官として張璋という人の名がちょこちょこ出てきて、まるでコンビみたいです。
96:★ぐっこ 2003/09/11(木) 01:17 おお! いよいよ突入ですか!? 思えば第一話のあたりから 幅を利かしてた外戚組と宦官組が一掃され、一つの時代が終わる 歴史的事件。 党錮以前から清流派士人が命を賭して果たそうとしていた一大事業が、 何進の不注意と袁術の暴発で始まるという…。 たしかに何進は、気分だけは梁商とか竇武のいいところを真似た感が ありますが、終わりもまた然り。妹はもちろん、義弟のヘタレに足を 引っ張られたという感もありますねえ…。 呉匡と張璋は、ふたりとも何進の親幸が厚かったようで。きっと目を 掛けられてたんでしょうねえ。呉匡は呉漢の末裔だから、張璋も名家 の士人だったのかも。
97:★ぐっこ 2003/09/14(日) 10:24 読んだ! 盛り上がって参りました! つうか、くそ、今学三でこのあたりやってたら気持ちいいだろうなもう! 何進たんお人よしすぎ! そして何太后バカ(というか凡婦)過ぎ! たとえば三国志演義だと、いささか唐突に始まるこの事件ですが、宦官による 何進殺害とそのあとの虐殺に至るまで、どのような仮定を経たか、宮城谷作品 でけっこう勉強できます! 未読の方は、とりあえず単行本になれば買うよろし。 今週の文藝春秋だけでも立ち読みするもよし。 それにしても何苗がいかんな…
98:左平(仮名) 2003/10/10(金) 23:58 混乱する宮中から逃れた少帝・陳留王と宦官達ですが、やがて盧植・閔貢が追いつきます。張譲達は入水し、さてこれで終わりかと思ったら… もうご存知の様に、あの男、そう、董卓の登場です。 荒れ果てた宮城をみて、その野心がうずいたのでしょう。西方で自立どころではありません。上洛した彼は、兵力をかき集め、その勢力の増大にこれ努めます。 その中で見出したのが、当時丁原配下の呂布。 剛勇の中にも「才覚をみせる」呂布は、「官位に憧憬を抱き」、「革命家ではなく」、「董卓とは異なる向きにある」人物として描かれています。 乱世であったがゆえ、「倫理という面から過度に指弾されている」とするこの描かれ方をみると、それなりの出世欲を持った、案外近くにもいそうな人物という感じがします。 蒼天の「純粋武人」ほどのインパクトはありませんが、ある意味興味深い描かれ方ではあります。 野心満々の董卓をみて、鮑信は危機感を抱き、袁紹に(董卓を除く様)説きます。しかし、受け入れられません。 せっかく「戦い抜く意思の力」を持ちながらも「状況が急変した時に対応できず、様子をみる事しかできない」のでは、何にもならないと… 当初、袁紹には不良仲間との交友があると聞いた董卓は、名門の御曹司らしからぬその姿勢を気に入りますが、結局両者は対立します。 董卓からみると、(袁紹が宦官を除こうとした際、皇帝は彼らと一緒であった。それを攻め、宦官達を虐殺したのであるから、袁紹は皇帝に背いた事になる。その皇帝を廃そうというのに、何を反対するのか。愚かな)とまぁこう見えたという具合。 こうして、少帝は廃され、陳留王が即位します。新帝の母を殺し、その祖母・董氏を死に追いやったのが何太后と知った董卓は、何氏を皆殺しにします。もちろん、元皇帝も。 その后・唐姫は、後に李カク【イ+鶴−鳥】に強姦され、賈ク【言+羽】に救われたそうです。 現在私が書いている「牛氏」では、賈ク【言+羽】が董卓の配下になったのをかなり早い時点にしてますが、そうでもないのかも知れません。この様な行動をみると。 最後に、曹操の蜂起について触れられます。次回は、反・董卓連合の結成でしょう。 脈絡なく書き連ねましたが、こうしてむみると、董卓の異質さが際立って見える様です。
99:左平(仮名) 2003/11/11(火) 00:18 今回、曹操が挙兵します。 彼は、董卓の招聘を拒んで去ります。董卓は立腹しますが、袁紹に対するそれとは やや異なる様に描かれています(曹操の人となりに立腹したのではなく、単に自分の 招聘を拒んだという事実に対しての立腹)。 史書の中に見られる、逃亡中の記述。陳舜臣氏も語る様に『演義』みたいな事件は なかった様ですが…。そもそも、その逃亡自体が百二十里ほど=行程四日程度(そして、 董卓からの手配の通達が行き渡るのに数日。役人はまだしも民衆は知り様がない)なの だから事件自体発生しようがない!という指摘。またしても、意外な指摘です。 衛茲の支援を受け、旗揚げした曹操は、張孟卓(名のバクって出ないんですよね)・ 張超、鮑信・鮑韜の各兄弟達とも合流し、徐々に勢力を培っていきます。 曹操の器の大きさが、そろそろ衛茲や鮑信の口から語られています。 曹操の矮躯に失笑が漏れるのに対し、晏子・孟嘗君の例が語られる(二人とも矮躯) というあたり、宮城谷作品ならではという感じがします。 袁紹・袁術の影は薄い一方、張超のもとにいる臧洪の存在が大きいです。なるほど 正史にも伝があり、記述はそのとおりなのですが…。 やはり、劉備・曹操との絡みがほとんどないせいでしょうか。
100:左平(仮名) 2003/11/11(火) 20:56 昨日は、ちょっと流し読みだったので、補足。 その逃亡自体が百二十里ほどというのは、洛陽から、呂伯奢事件のあったとされる 成皋までの距離でした。 なるほど、手配の通達が役所に届くかどうかという段階では、そして曹操がそういう文書の 流れを理解しているのであれば、『演義』でいう様に疑心暗鬼になるはずもありません。 また、この時曹操は「兵は多ければ多いほどよいとは限らない」という様な事を言ってるとか。 と、なると…募兵に苦労したというイメ−ジもちょっと変わる?のかも知れません。 そして、袁紹らが合流する前の段階で、張バク【辶+貌】らは盟約を交わしています。しかし、発起人とも いうべき曹操は、無位無官を理由にその場にはいません。臧洪伝の記述はその様になっていますし、武帝紀 にはそのあたりの事ははっきりとは書かれていませんから、おおむね事実の様です。 蒼天などの他作品と比べると、宮城谷曹操、やはり異質です。
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