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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
97:★ぐっこ2003/09/14(日) 10:24AAS
読んだ! 盛り上がって参りました!
つうか、くそ、今学三でこのあたりやってたら気持ちいいだろうなもう!
何進たんお人よしすぎ! そして何太后バカ(というか凡婦)過ぎ!
たとえば三国志演義だと、いささか唐突に始まるこの事件ですが、宦官による
何進殺害とそのあとの虐殺に至るまで、どのような仮定を経たか、宮城谷作品
でけっこう勉強できます! 未読の方は、とりあえず単行本になれば買うよろし。
省8
98:左平(仮名)2003/10/10(金) 23:58AAS
混乱する宮中から逃れた少帝・陳留王と宦官達ですが、やがて盧植・閔貢が追いつきます。張譲達は入水し、さてこれで終わりかと思ったら…
もうご存知の様に、あの男、そう、董卓の登場です。
荒れ果てた宮城をみて、その野心がうずいたのでしょう。西方で自立どころではありません。上洛した彼は、兵力をかき集め、その勢力の増大にこれ努めます。
その中で見出したのが、当時丁原配下の呂布。
剛勇の中にも「才覚をみせる」呂布は、「官位に憧憬を抱き」、「革命家ではなく」、「董卓とは異なる向きにある」人物として描かれています。
省21
99:左平(仮名)2003/11/11(火) 00:18AAS
今回、曹操が挙兵します。
彼は、董卓の招聘を拒んで去ります。董卓は立腹しますが、袁紹に対するそれとは
やや異なる様に描かれています(曹操の人となりに立腹したのではなく、単に自分の
招聘を拒んだという事実に対しての立腹)。
史書の中に見られる、逃亡中の記述。陳舜臣氏も語る様に『演義』みたいな事件は
省19
100:左平(仮名)2003/11/11(火) 20:56AAS
昨日は、ちょっと流し読みだったので、補足。
その逃亡自体が百二十里ほどというのは、洛陽から、呂伯奢事件のあったとされる
成皋までの距離でした。
なるほど、手配の通達が役所に届くかどうかという段階では、そして曹操がそういう文書の
流れを理解しているのであれば、『演義』でいう様に疑心暗鬼になるはずもありません。
省15
101:★ぐっこ2003/11/12(水) 00:30AAS
しまった、先月も今月も読んでなかったΣ( ̄□ ̄;)!!
むう、話はいよいよ曹操の挙兵に! これは読まねばならん…
ていうか私密かに衛茲が漢らしくて好きだったり。楽しみ〜
102:★ぐっこ2003/12/10(水) 22:42AAS
二巻連続で読んだ!
何故か前巻があったので、併せて立ち読み。
個人的には、もうちょい董卓のキャラクターをネバっと書いて
頂きたいところですが、それでも各地の群雄の思惑カコイイ!
志摩子張邈さまが凡庸扱い…(´Д⊂ いや、実際張邈さまにしても
省12
103:★ぐっこ2003/12/10(水) 22:44AAS
あと、鮑信と鮑韜兄弟もよかったなあ…。
曹操の初期の盟友。もし二人とも生きていれば、どれほど曹操の
元で活躍したか…。
でも鮑信も武官とは言え、筆より重いモノを持たない純文官タイプだったはずで
よくぞ負傷するまで奮戦したものと。
衛茲の場合は忘れ形見が立派に成長して名声を博しましたが(終わりイクナイ)、
省7
104:左平(仮名)2003/12/10(水) 23:37AAS
おっと、先に書かれちゃいましたね。
ちょっと、年末年始に出すハガキを作成してたもので、こちらに
来るのが遅くなっちゃいました。
概要は、まさにぐっこさんの書き込まれたとおりですね。
この時点では、鮑信の方がむしろ冷静なくらいってのがまた。
省13
105:★ぐっこ2003/12/10(水) 23:56AAS
忘れてた!(;´Д`)スコーンと。
なんか盧植の息子といい衛茲の息子といい、みんな似たような
キャラだなあと。
宮城谷董卓は、能力はともかく、その思考が意外に普通で、かえって
味があるんですよねえ…。そして、自分がそれほど嫌われていると思って
省7
106:左平(仮名) 2004/01/10(土) 23:40AAS
さて、徐栄の前に大敗を喫した曹操は、曹洪に馬を譲られ、悄然とした面持ちで撤退します。
周ウらの協力を得て募兵には成功したものの、叛乱を起こされ、かえって減ってしまう有様です。
しかし、この勇戦が彼の存在感を示す事になります。
それにしても、この周ウ・周グ【日+禺】の兄弟、ここで曹操の器を見出してるのに、その後が冴えないんですよね…。周グ【日+禺】に至っては、『(将としての力量には乏しくないのに)死ぬまで負け続けた』なんて言われてますし。
募兵に携わっていたのに夏侯惇・曹洪・史渙の名が挙がっていますが、曹仁(168生)・夏侯淵の名が出てません。年齢的には、夏侯惇≒曹洪>夏侯淵≒曹仁ってな感じなのでしょうか。
省11
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