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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
241:左平(仮名)2009/09/26(土) 03:04:24 ID:sq1CW+Zq0AAS
三国志(2009年09月)
今回のタイトルは「曹休」。姜維についての記述はないのですが、第一次北伐の余談、とでもいうべき話から
始まります。
かつて張既に託された、游殷の遺児・游楚。立派に成長し、太守となった彼のもとに、蜀漢軍の侵攻の知らせ
省26
242:左平(仮名)2009/09/26(土) 03:05:46 ID:sq1CW+Zq0AAS
続き。
ここで白羽の矢が立ったのは、前線にいない鄱陽太守・周魴です(前線の太守が策をめぐらしても警戒されて
いるため難しい、との判断)。山越等の賊との戦いの経験もあり、なかなか優秀な人物ではありますが、これ
はいかに言っても困難な使命です。
何度も策を練っては却下され、ついには問責の使者が来て、剃髪して詫びるということも(演義では、曹休を
省23
243:左平(仮名)2009/10/25(日) 22:42:15 ID:5TLCoJWz0AAS
三国志(2009年10月)
今回のタイトルは「陳倉」。曹操等には及ばぬまでも、諸葛亮の軍事手腕に一定の成長が見られます。
まずは前回の続きから。曹休の敗退を知った賈逵は、彼が向かうであろう夾石に軍を進めることにします。そこ
には、撤退する曹休を待ち構える呉軍がいましたが、賈逵はこれを難なく蹴散らし、無事、曹休と合流すること
省24
244:左平(仮名)2009/10/25(日) 22:45:04 ID:5TLCoJWz0AAS
続き。
一方、勝利した呉ですが、こたびの戦の功労者である陸遜・周魴は篤く賞されます。それはよいのですが…ここに
呉の限界があります(後世の、人気がない原因でもあるような)。
詐術を弄して勝つということは、「敵には何をしてもよい」と考えているわけです。それは、一見正しいようですが、
そこには、人を引き付けるものがありません。人々を引き付けないことには最後の勝利は得られません。
省21
245:左平(仮名)2009/10/25(日) 22:47:11 ID:5TLCoJWz0AAS
続き。
文章量からすると、やや少なく感じるくらいの陳倉の戦いですが、その中身はなかなか濃いものがあります。攻城
兵器(雲梯、衝車等)の投入、二重城壁、地下道での攻防…。
ただ、郝昭の勇戦は確かですが、ここでは、戦場における諸葛亮の鈍さが強調されているように見えます。
省17
246:左平(仮名)2009/11/28(土) 15:52:23 ID:A/4303W/0AAS
三国志(2009年11月)
今回のタイトルは「三帝」。名実ともに、三国の時代となります。
まずは、孫権の皇帝即位を知った蜀漢の反応及び対応が語られます。漢の正統を自任する蜀漢としては、孫権の
皇帝即位は到底是認できないものではあるのですが…ここは、丞相・諸葛亮の現実的判断に従うこととなります。
省22
247:左平(仮名)2009/11/28(土) 15:53:41 ID:A/4303W/0AAS
続き。
この祝賀の席で、(かつて対立した)周瑜を賞賛しようとした張昭にちくりと皮肉を言ったり、それに衝撃を
受けた張昭が引退を願い出ると引き留めたりと、孫権、家臣に対しても容易に腹の内を見せません。
諸葛亮と孫権。ともに優秀な為政者には違いないのですが、この差は何なのか。
省26
248:左平(仮名)2009/11/28(土) 15:55:30 ID:A/4303W/0AAS
続き。
そうこうしているうちに、西暦230年。この年、魏は本格的な軍事行動を起こそうとします。蜀漢が対魏戦の
準備を着々と進めていると知った曹真が、機先を制してこれを討つことを考えたのです。
彼我の国力差を考えると、孫資の言うとおり、魏から無理に戦いを仕掛けずともよいのですが、今や魏軍の重鎮
省16
249:左平(仮名)2010/01/01(金) 01:32:42 ID:hGkpiVxC0AAS
三国志(2009年12月)
今回のタイトルは「曹真」。曹真についての記述自体はさほど多くないと思うのですが、この後のことがあります
からね…。
今回は、前回の続き、楊阜vs馬超です。辛うじて馬超のもとを脱出した楊阜は、姜叙達とともに馬超を打倒すべく
省24
250:左平(仮名)2010/01/01(金) 01:34:13 ID:hGkpiVxC0AAS
続き。
ともあれ、その後の地方勤務も含めて高く評価された楊阜は、曹叡の代になって、中央に呼ばれます(彼の登用自
体は、曹丕の時代から検討されていたようになっています)。
このような経緯で中央に召された楊阜は、曹叡に対し、時として厳しい諫言を行います。土木建設事業を好む、と
いうのが微妙なところではありますが、為政者としての資質において父・曹丕を上回る曹叡は、楊阜の諫言をよく
省23
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