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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
241:左平(仮名)2009/09/26(土) 03:04:24 ID:sq1CW+Zq0AAS
三国志(2009年09月)
今回のタイトルは「曹休」。姜維についての記述はないのですが、第一次北伐の余談、とでもいうべき話から
始まります。
かつて張既に託された、游殷の遺児・游楚。立派に成長し、太守となった彼のもとに、蜀漢軍の侵攻の知らせ
が届きます。
天水・南安の太守が早々と逃亡する中、ここが死に場所、とばかりに肚を括ると、きっちりと迎撃態勢を整え、
蜀漢軍に一撃を加えます。
游楚は学問を好まず、遊び好きだったそうですが、郡の官民の心を得たことといい、敵軍の状況を冷静に把握
したことといい、なかなか優秀な人物ですね。
戦力を分散していた蜀漢軍は、長居は無用とばかりに撤退。みごと、援軍の到来まで持ちこたえました。
近隣の太守が醜態を晒す中での、この活躍。宮中に上がった時の天然ぶり(?)もあって曹叡に気に入られた
彼の人生は、比較的穏やかなものだったようです。
さて、タイトルの曹休ですが…。この時、彼は、南の呉に備える立場にありました。
蜀漢と呉は同盟関係となっています。と、いうことは、両者が連携して魏と戦うということが予想されるわけ
です。そして、蜀漢が攻撃を仕掛けてきたということは…。曹休は、呉との戦いの準備に取りかかります。
孫権も、蜀漢が動いたことを知ると、魏との戦いの準備に取りかかります。しかし、過去数年の戦いの結果は、
というと、一進一退。それも、軍事のまずかった曹丕の時で、です。
天性ともいうべき戦略眼を持った曹叡が相手となると、これでは心もとない。孫権は、何らかの策略を用いる
必要に迫られます。
長くなるので続きます。
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