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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
258:左平(仮名)2010/04/03(土) 11:15:08 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年03月)
今回のタイトルは「遼東」。以前に、「後漢のあとは、三国時代というより四国時代というほうが正しいかもしれない」。
と書かれていましたが、今回は、主に遼東の公孫氏について語られています。
さて、魏には多くの名臣がいたわけですが、今回最初に語られたのは、その一人、陳羣。前回見せ場のあった田豫と同様、
劉備と縁があった人でもあります。
謹厳実直な人となりで知られる彼は、優れたバランス感覚の持ち主であるとともに、帝王の言動の重さというものをよく
理解している人でもあり、まさに国家の重鎮というべき存在。
(なぜ史書に伝わっているのか、と言ってしまうと野暮ではあるのですが)彼の諫言は、密かに行われていたといいます。
なぜ密かに、という疑問があるわけですが…個人的には、「王に戯言無し」ということを意識していたのではないか、と
思います。
個人的な話かつ時事ネタで恐縮ですが、現内閣・与党の面々の言動のひどさを見るにつけ、この言葉がしばしば私の脳
裏をよぎります。彼らは、これまで一体何を学んだのでしょうか。作中では散々な書かれようだった袁紹・袁術でも、
この連中よりももっとましではなかったか、と。
帝王の言葉は極めて重く、また、誤りがあっては取り返しがきかないものです。誤りがあれば当然に正されるべきですが、
誤りがあったこと自体、帝王の尊厳を傷つけるもの。表立って諫言することは、帝王の誤りを明らかにしてしまいます。
それゆえ、諫言は密かに行うものである…。これは、臣下としての、彼の美学とでも言うべきものでしょう。
続きます。
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