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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
368:左平(仮名)@投稿 ★2012/03/04(日) 21:55:44 ID:???0 [sage ]
続き。
兵法においては、敵の虚を撃つことを重視します。江南を攻める呉と西域を攻める蜀漢とでは、明らかに、前者の方が
魏にとって重要です。いかに大国とはいえ、両面作戦をとることは難しい以上、どちらかを優先させねばなりません。
となれば、より重要な方である前者を優先するのが道理なわけですが、しかしそれ故に、後者には(こちらは後回しに
されるに違いない)という予断があります。それこそが、虚。
司馬師は、合肥の救援はしばらく見合わせるよう指示する一方で、西域を任せている郭淮と陳泰に迎撃を命じます。
既に老将というべき年齢になった郭淮ですが、動きは迅速でした。司馬氏には、大きな恩があったからです。彼の妻は
王淩の妹。王淩が謀叛人とされたことから、当然に連座の対象となったわけですが、郭淮は、処罰を承知でこれを奪還
しました(奪還したのは息子達でしたが、郭淮は自らが罪を受ける覚悟であえて送り出したのです)。
司馬懿は、西域における郭淮の存在の大きさに鑑み、あえて法を枉げてこれを許しました。司馬懿からみれば、郭淮を
失うことによる損失と比較した結果の判断でしたが、郭淮にとっては、篤情と映ったのです。
ここでは「非凡には遠い」とされる郭淮ですが、曹操の時代から、長年にわたって西域を無難に統治してきたのは伊達
ではありません。その郭淮が、良将の陳泰とともに迎撃に当たったわけですから、相当の大軍が動いたはずです。
魏の中央は当然に合肥の救援を優先する(ゆえに西域の救援は遅れる。その間に戦果を挙げる)という姜維の目論見は
外れました。出兵したことで呉との約定は果たしたわけですから、戦果が見込めなくなった今、兵を動かす意義はあり
ません。姜維は、呉の不甲斐なさを詰りながら、撤退しました。
続きます。
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