★『宮城谷三国志』総合スレッド★
370:左平(仮名)@投稿 ★2012/03/04(日) 22:02:04 ID:???0 [sage ] AAS
続き。

諦めきれない諸葛恪は、帰還するのをためらい、屯田をしようか、などと言い出します。しかし、その軍は、あくまで
皇帝から授かった国軍であって、諸葛恪が好き勝手に扱ってよいものではありません。

このことを知らされた孫峻は、繰り返し詔勅を出させることで、何とか諸葛恪を帰還させました。しかし、いたずらに
兵を消耗した(大きな会戦はなかったが大敗に等しい)にもかかわらず、諸葛恪は凱旋したかの如く振る舞い、批判的
な人々を遠ざけました。
かつて諸葛恪は、蜀漢に仕えた叔父・諸葛亮は父・諸葛瑾に劣ると言いました。しかし、たとえ形式上のこととはいえ、
諸葛亮は自らの失敗の責を負い降格するということがありましたし、厳格だが公平な政治を行い、蜀漢の人々から畏敬
されました。それができない諸葛恪は、父に劣る、と貶めた叔父にまさると言えるでしょうか。

このような有様を、孫峻は苦々しくみていました。諸葛恪が君臣からの支持を失っていることは明らか。このままでは、
自分も巻き添えを食らう。そうならないためには…。
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