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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
388:左平(仮名)@投稿 ★2012/07/01(日) 04:03:40 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
傅嘏は、曹髦を「こざかしい」とみていました。司馬師に近い彼からすると、親政に意欲をみせる(必然的に、遠からず司馬師と
対立することになる)曹髦は、好ましい存在ではないのです。うかつなことをすると、司馬師不在の間にクーデターを仕掛けるの
ではないか。そうなると…。
それゆえ、留守の役割は重大です。司馬師は、これに弟の司馬昭をあてることにしました。この頃、司馬昭は、蜀漢に備えるべく
西方に駐屯していたのですが、陳泰に任せてよいと見極めがついたので、呼び戻すことが可能になったのです。
省20
389:左平(仮名)@投稿 ★2012/07/01(日) 04:11:39 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
既に劣勢なのは明らかな毌丘倹。そんな彼に、悲報が舞い込みます。子の甸が、亡くなったのです。
父の決起に呼応し、洛陽から父のもとに向かおうとしたのですが、途中で捕捉され、戦った末に討死したのです。魏の行く末を
案じ、魏に殉じた彼の最期を知った毌丘倹は、その死を哀しむとともに、誇りに思いました。
不幸中の幸いというべきか、毌丘倹の子は甸一人ではありません。他の子は呉に逃しました。自分が死んでも、毌丘氏の血胤は
残ります。毌丘倹は、決意を新たに、戦いに臨みます。
省20
390:左平(仮名)@投稿 ★2012/07/01(日) 04:13:38 ID:???0 [sage ] AAS
追記。
今回の「オール讀物」に、宮城谷氏のインタビュー記事が載っていました。それによると、来年九月に出る十二巻をもって、
「三国志」は完結するとのことです。
ファンの人からは「呉の滅亡まで書いてほしい」との要望があったようですが、いつかの記事のように蜀漢の滅亡あたりで
終わりそうです。
(個人的には、さらにその後の、王衍の最期≒西晋の滅亡まで見たかったのですが…)
省14
391:左平(仮名)@投稿 ★2012/08/06(月) 02:06:01 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2012年07月)
今回のタイトルは「傅嘏」。毌丘倹の決起の結末はいかに。
前回の時点では、文欽達から最も近いところにいた敵は、南頓にいる王基でした。しかし、戦うよう命ぜられた相手はケ艾。
省25
392:左平(仮名)@投稿 ★2012/08/06(月) 02:07:17 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
文俶の戦いぶりは凄まじいものでした。圧倒的な大軍が相手とはいえ、夜が明けきらぬうちの急襲だったことが功を奏し、
司馬師の陣営は大混乱に陥ります。
それだけではありません。この混乱のため、司馬師の体調が一気に悪化したのです。
とはいえ、文俶の手勢は僅かです。夜が明けてケ艾達も合流すれば包囲殲滅される恐れがあります。文俶は、未練を残し
省22
393:左平(仮名)@投稿 ★2012/08/06(月) 02:13:48 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
一刻も早く寿春に…と思ったのでしょうが、毌丘倹は、なぜか側近のみを従えて項城を後にしました。いかに漸減していた
とはいえ、まだ相応の軍勢がいたはずなのに、です。
側近のみ、とはいっても、城を出た時点では多数いたのですが、櫛の歯が抜けるように欠けていき、ついには、弟と孫のみ
になりました。いくら勇将とはいえ、これでは、追っ手に捕捉されたらひとたまりもありません。
省20
394:左平(仮名)@投稿 ★2012/08/06(月) 02:18:02 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
このとき、傅嘏は、自分が司馬師に出師を強いたばかりに…と自責の念に駆られていました。また、前回も書かれていたよう
に、曹髦の器量に不信感を抱いていました。
それゆえ、彼自身は司馬氏の家臣ではありませんでしたが、司馬昭のために何をすべきか…と思っていました。そんな彼の判
断は、皇帝の命令を無視し、司馬昭が軍を率いたまま洛陽に向かう(洛陽近郊で停止し威圧する)、というものでした。
省19
395:左平(仮名)@投稿 ★2012/09/04(火) 03:19:50 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2012年08月)
今回のタイトルは「蛇足」。前回、呉・蜀漢に動きあり、というように書かれていました。このタイトルとの関連は…?
まずは、呉から。孫権には七人の男子がいたわけですが、特にできのよかった上の二人(誠実な努力の人であった孫登、
省22
396:左平(仮名)@投稿 ★2012/09/04(火) 03:21:38 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
孫峻打倒計画は、これだけではありませんでした。蜀漢の使者が来訪する折を狙って…というものでしたが、これも失敗。
才智においては諸葛恪に劣る孫峻ですが、身の危険を察知することには長けていたようです。
これらの計画は、特に関連はなかったようですが、孫峻は、皇帝・孫亮を疑うようになっていきます(賢さを顕示しない
という賢さがある、とみて警戒したのです)。
省20
397:左平(仮名)@投稿 ★2012/09/04(火) 03:23:35 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
魏にとっては最悪の展開です。王経は、迎え撃つ側であるにもかかわらず、不利な地に布陣してしまったのです。速戦を
好む姜維にとっては、願ってもない状況。あっさりと打ち破りました。魏軍は川に追い落とされ、甚大な損害を蒙ります。
辛うじて狄道に逃げ込んだ王経。なお一万の兵を擁するとはいえ、城は包囲され、兵糧は僅か。絶体絶命と思われました。
姜維がさらに攻勢に出ようとするのも無理からぬところ。張翼が「蛇足である」と諌めますが、聞くはずもありません。
省21
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