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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
74:もす 2003/04/15(火) 05:46 どもです。憶測のようなことで恐縮ですが…(^^ゞ 最初は188年の事例を見て、 「もしや、劉焉が蜀に行ったヤツか?!」などと不遜なことも考えてしまいました(笑)が、 何らかの情報があることは確かなようです。 実際に中国に行って、そういった史料を探索してみたいものですけどねぇ。もっと懐を暖めないと…(;^_^A >池宮氏 「身内の不幸があってドタバタしてたため」なんてコメントしてましたね(笑) 不幸はお気の毒ですが、それとこれとは関係ないんじゃ、と(ry
75:もす 2003/04/15(火) 06:02 そういえば、大事なことを忘れていました。 ⇒左平さん 宜しければ、私めの掲示板でご相談にのっていただけないでしょうか? 諡号について話題が出たのですが、恥ずかしながら、今一つ説明できなかったもので。(^^; ご無理でしたら、書籍名等だけでも教えていただけると助かります。 大変失礼とは思いますが、何卒お願いします。<(_ _)>
76:左平(仮名) 2003/04/16(水) 00:18 先ほど、書き込んでおきました。 諡号というのは、なかなか興味深いものです。結構いろいろなニュアンスがありまして…。
77:★ぐっこ 2003/04/17(木) 00:15 むう、鯖落ちで見れぬ…・゚・(ノД`)・゚・ そしてもす様、三国志・後漢書集解ゲットおめ。 ところで、先日文春確認しましたが、皇甫嵩カコイイ! 朱儁も引き立て役とはいえカコイイ! 何よりいまだまともなセリフがない曹操もまた男前に! 奇貨おくべしみたく、このあたりの初陣のドラマに期待していたのですが(^_^;)、 けっこうサラッと流されてましたね…。それだけは残念ですが。
78:もす 2003/04/17(木) 01:45 [sage] 左平さん、本当にありがとうございました。感謝で言葉もありませぬ(>_<) ⇒ぐっこさん ようやっと集解げとーです(^^ゞ これで大分楽になりそうです♪ 某所はread.cgiとやらが原因らしいっすね。よく分かりませんが(^^ゞ で、今、専用ぶらうざを探してたら、OpenJaneとやらが使いやすかったっす♪ 宮城谷先生に関係ないカキコなのでsage
79:岡本 2003/04/17(木) 21:59 >黄巾の蜂起から4年後 大分おくれまして、しかも、もす様ほど正確な情報ではありませんが、 わたしも似た状況を示唆する記述をよりによって三国演義で見たことがあります。 立間祥介訳の平凡社のものですが、劉備が例の義勇兵を募る 立て看を見ていた初登場での紹介文が ”歳、28歳”とあるのです。 184年なら24歳のはず。事実、本文の注では立間先生自身が中平元年なら24歳なので記述 ミスだろうと論じています。 もす様の情報のように、旗揚げは民間では188年と伝わっていたようです。 大体、張飛が18歳で参加したこと自体、子供心に”胡散くさ〜”と思ったことがありますので。
80:★ぐっこ 2003/04/19(土) 16:07 コレもうろ覚えですが、なんか陳舜小説のなかに、「張飛はこのとき ハイティーンであろう」みたいな記述があって、「ん?」と思った記憶が。 それはともかく、確かに演義間に「188年説」が成立していた、と思う方が 正しいようですな。 あ、そうだ、集解ってセットでおいくらぐらいなもんでしょう? 何となく、最近また三国志に凝ってきだして…。また本格的に勉強しようかなと。 >鯖落ち いえ、もす様のところの討論板です(^_^;) しかし今三戦板に行ってみると人大杉警告が。専用ブラウザの導入考えるです…。 最近、デザインパクる為にWeb板しか行ってなかったから気づかなかったよ…
81:もす 2003/04/19(土) 17:09 手持ちのカタログだと、集解は三国志で\5390、 後漢書は2冊セットで\6160になってます。 晋書も同じく2冊セットですが、\9620と かなりお求め難くなっております(^^ゞ >いえ、もす様のところの討論板です(^_^;) ありゃ、ウチですたか。(^^; 偶にオチてるんですよねぇ。今は大丈夫だと思うんですけど、 どうでしょう? 環境によって見れないとかあるのかな…
82:★ぐっこ 2003/04/22(火) 21:54 むう、確かにお求めやすい価格帯だ! 考えようかな…。 晋書はいかがか…(;´Д`) いえ、県立図書館の和刻本を全コピしても 7000円弱、というところですが。 >掲示板 もう大丈夫でした(^_^;)
83:左平(仮名) 2003/05/10(土) 23:49 ◆黄巾の乱 一応の決着 ほか 今回の宮城谷三国志◆ 前回のラストで盧植に替わり張角を倒すべく派遣された董卓ですが、まったくやる気なし(見せ掛けだけの攻撃はしますが)。結局、この戦いに決着をつけたのは、またしても皇甫嵩でした。ちらりと盧植の良将ぶりも描くあたり、細かいです。 張三兄弟をことごとく倒した皇甫嵩が英雄視されるのは当然。そこに現われたのが、閻忠なる人物。彼はいにしえのカイ【萠リ】通の如く説くのですが、受け入れられません。閻忠の最期は、王国らにかつがれた為、昂奮の中で死ぬというものでしたが、「不幸にも」というあたり、氏の思いはどこにあるのでしょうか。 一方で、朱儁はなおも苛烈な戦いを続けます。張曼成、趙弘、韓忠。黄巾は、指導者が斃れても斃れてもなお大軍をもって抵抗を続けますが、朱儁は寡兵をもって激しい攻撃を続け、ついにこれを制します。孫堅も活躍します。 こうして、「黄巾の乱」としては一応の終息をみますが、その後も各地で乱が起こったのは周知のとおり。このあたりは、いわゆる「三国志」の世界といえます。 しかし、その一方で、ヘイ【丙β】原の事が詳しく描かれます。今回のラストは、彼が曹操に仕えるところ。公孫度の事にも触れられています。物語のスケ−ルが、やはり今までの三国志とは違う…。
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