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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
97:★ぐっこ 2003/09/14(日) 10:24 読んだ! 盛り上がって参りました! つうか、くそ、今学三でこのあたりやってたら気持ちいいだろうなもう! 何進たんお人よしすぎ! そして何太后バカ(というか凡婦)過ぎ! たとえば三国志演義だと、いささか唐突に始まるこの事件ですが、宦官による 何進殺害とそのあとの虐殺に至るまで、どのような仮定を経たか、宮城谷作品 でけっこう勉強できます! 未読の方は、とりあえず単行本になれば買うよろし。 今週の文藝春秋だけでも立ち読みするもよし。 それにしても何苗がいかんな…
98:左平(仮名) 2003/10/10(金) 23:58 混乱する宮中から逃れた少帝・陳留王と宦官達ですが、やがて盧植・閔貢が追いつきます。張譲達は入水し、さてこれで終わりかと思ったら… もうご存知の様に、あの男、そう、董卓の登場です。 荒れ果てた宮城をみて、その野心がうずいたのでしょう。西方で自立どころではありません。上洛した彼は、兵力をかき集め、その勢力の増大にこれ努めます。 その中で見出したのが、当時丁原配下の呂布。 剛勇の中にも「才覚をみせる」呂布は、「官位に憧憬を抱き」、「革命家ではなく」、「董卓とは異なる向きにある」人物として描かれています。 乱世であったがゆえ、「倫理という面から過度に指弾されている」とするこの描かれ方をみると、それなりの出世欲を持った、案外近くにもいそうな人物という感じがします。 蒼天の「純粋武人」ほどのインパクトはありませんが、ある意味興味深い描かれ方ではあります。 野心満々の董卓をみて、鮑信は危機感を抱き、袁紹に(董卓を除く様)説きます。しかし、受け入れられません。 せっかく「戦い抜く意思の力」を持ちながらも「状況が急変した時に対応できず、様子をみる事しかできない」のでは、何にもならないと… 当初、袁紹には不良仲間との交友があると聞いた董卓は、名門の御曹司らしからぬその姿勢を気に入りますが、結局両者は対立します。 董卓からみると、(袁紹が宦官を除こうとした際、皇帝は彼らと一緒であった。それを攻め、宦官達を虐殺したのであるから、袁紹は皇帝に背いた事になる。その皇帝を廃そうというのに、何を反対するのか。愚かな)とまぁこう見えたという具合。 こうして、少帝は廃され、陳留王が即位します。新帝の母を殺し、その祖母・董氏を死に追いやったのが何太后と知った董卓は、何氏を皆殺しにします。もちろん、元皇帝も。 その后・唐姫は、後に李カク【イ+鶴−鳥】に強姦され、賈ク【言+羽】に救われたそうです。 現在私が書いている「牛氏」では、賈ク【言+羽】が董卓の配下になったのをかなり早い時点にしてますが、そうでもないのかも知れません。この様な行動をみると。 最後に、曹操の蜂起について触れられます。次回は、反・董卓連合の結成でしょう。 脈絡なく書き連ねましたが、こうしてむみると、董卓の異質さが際立って見える様です。
99:左平(仮名) 2003/11/11(火) 00:18 今回、曹操が挙兵します。 彼は、董卓の招聘を拒んで去ります。董卓は立腹しますが、袁紹に対するそれとは やや異なる様に描かれています(曹操の人となりに立腹したのではなく、単に自分の 招聘を拒んだという事実に対しての立腹)。 史書の中に見られる、逃亡中の記述。陳舜臣氏も語る様に『演義』みたいな事件は なかった様ですが…。そもそも、その逃亡自体が百二十里ほど=行程四日程度(そして、 董卓からの手配の通達が行き渡るのに数日。役人はまだしも民衆は知り様がない)なの だから事件自体発生しようがない!という指摘。またしても、意外な指摘です。 衛茲の支援を受け、旗揚げした曹操は、張孟卓(名のバクって出ないんですよね)・ 張超、鮑信・鮑韜の各兄弟達とも合流し、徐々に勢力を培っていきます。 曹操の器の大きさが、そろそろ衛茲や鮑信の口から語られています。 曹操の矮躯に失笑が漏れるのに対し、晏子・孟嘗君の例が語られる(二人とも矮躯) というあたり、宮城谷作品ならではという感じがします。 袁紹・袁術の影は薄い一方、張超のもとにいる臧洪の存在が大きいです。なるほど 正史にも伝があり、記述はそのとおりなのですが…。 やはり、劉備・曹操との絡みがほとんどないせいでしょうか。
100:左平(仮名) 2003/11/11(火) 20:56 昨日は、ちょっと流し読みだったので、補足。 その逃亡自体が百二十里ほどというのは、洛陽から、呂伯奢事件のあったとされる 成皋までの距離でした。 なるほど、手配の通達が役所に届くかどうかという段階では、そして曹操がそういう文書の 流れを理解しているのであれば、『演義』でいう様に疑心暗鬼になるはずもありません。 また、この時曹操は「兵は多ければ多いほどよいとは限らない」という様な事を言ってるとか。 と、なると…募兵に苦労したというイメ−ジもちょっと変わる?のかも知れません。 そして、袁紹らが合流する前の段階で、張バク【辶+貌】らは盟約を交わしています。しかし、発起人とも いうべき曹操は、無位無官を理由にその場にはいません。臧洪伝の記述はその様になっていますし、武帝紀 にはそのあたりの事ははっきりとは書かれていませんから、おおむね事実の様です。 蒼天などの他作品と比べると、宮城谷曹操、やはり異質です。
101:★ぐっこ 2003/11/12(水) 00:30 しまった、先月も今月も読んでなかったΣ( ̄□ ̄;)!! むう、話はいよいよ曹操の挙兵に! これは読まねばならん… ていうか私密かに衛茲が漢らしくて好きだったり。楽しみ〜
102:★ぐっこ 2003/12/10(水) 22:42 二巻連続で読んだ! 何故か前巻があったので、併せて立ち読み。 個人的には、もうちょい董卓のキャラクターをネバっと書いて 頂きたいところですが、それでも各地の群雄の思惑カコイイ! 志摩子張邈さまが凡庸扱い…(´Д⊂ いや、実際張邈さまにしても 袁紹さんにしても、平時の「宮廷内政争」レベルでは時代を叱咤する俊英、 乱世になると途端に尻つぼみになるタイプと見たり。 当時なお歴史を変えうる位置に居る皇甫嵩も、あっさりと董卓と和解。 というか、董卓=朝廷となった時点で、皇甫嵩の概念では「従うのは当然」 に近い状況だったんでしょうねえ…。良くも悪くも漢朝に囚われすぎた老将軍 でした…
103:★ぐっこ 2003/12/10(水) 22:44 あと、鮑信と鮑韜兄弟もよかったなあ…。 曹操の初期の盟友。もし二人とも生きていれば、どれほど曹操の 元で活躍したか…。 でも鮑信も武官とは言え、筆より重いモノを持たない純文官タイプだったはずで よくぞ負傷するまで奮戦したものと。 衛茲の場合は忘れ形見が立派に成長して名声を博しましたが(終わりイクナイ)、 鮑兄弟の子供の事績ってありましたっけ?
104:左平(仮名) 2003/12/10(水) 23:37 おっと、先に書かれちゃいましたね。 ちょっと、年末年始に出すハガキを作成してたもので、こちらに 来るのが遅くなっちゃいました。 概要は、まさにぐっこさんの書き込まれたとおりですね。 この時点では、鮑信の方がむしろ冷静なくらいってのがまた。 >鮑兄弟の子供の事績 って、いるではないですか!鮑信の子の鮑kが!というか、正史の三国志では 鮑kの伝にくっついて鮑信の事が載ってるくらい! それはそうと、お世辞には弱いのに戦略眼はなかなかのものを持つ董卓、結構 絵になる描かれ方ですな。張邈・袁紹が見劣りして映るだけになおさらです。
105:★ぐっこ 2003/12/10(水) 23:56 忘れてた!(;´Д`)スコーンと。 なんか盧植の息子といい衛茲の息子といい、みんな似たような キャラだなあと。 宮城谷董卓は、能力はともかく、その思考が意外に普通で、かえって 味があるんですよねえ…。そして、自分がそれほど嫌われていると思って ないあたり。あと、伍瓊たちを斬ったのを後悔してるところとか。
106:左平(仮名) 2004/01/10(土) 23:40 さて、徐栄の前に大敗を喫した曹操は、曹洪に馬を譲られ、悄然とした面持ちで撤退します。 周ウらの協力を得て募兵には成功したものの、叛乱を起こされ、かえって減ってしまう有様です。 しかし、この勇戦が彼の存在感を示す事になります。 それにしても、この周ウ・周グ【日+禺】の兄弟、ここで曹操の器を見出してるのに、その後が冴えないんですよね…。周グ【日+禺】に至っては、『(将としての力量には乏しくないのに)死ぬまで負け続けた』なんて言われてますし。 募兵に携わっていたのに夏侯惇・曹洪・史渙の名が挙がっていますが、曹仁(168生)・夏侯淵の名が出てません。年齢的には、夏侯惇≒曹洪>夏侯淵≒曹仁ってな感じなのでしょうか。 しかし、袁氏の二人はもっと冴えません。いかに董卓に牛耳られているとはいえ、朝廷の命を受けて派遣された名士達(韓融・陰脩・胡母班…)を処刑したりしてます。 (韓融が、陰脩に逃げる様勧める際に、夏姫と巫臣の名を出してるのは、宮城谷作品だからでしょうか) そして、この有様をみて荀揩ヘ袁紹を見限ります。 袁紹は、進むもならず退くもならず、劉虞を擁立しようとします。ただ、これはいかにいっても弥縫策にすぎません。あの袁術でさえ、これにはまっとうな批判の書状を出してるくらいです。 さて、次回は、精強な董卓の軍団を打ち破る勇将が登場するはずです。楽しみ!
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