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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
100:左平(仮名)2003/11/11(火) 20:56AAS
昨日は、ちょっと流し読みだったので、補足。
その逃亡自体が百二十里ほどというのは、洛陽から、呂伯奢事件のあったとされる
成皋までの距離でした。
なるほど、手配の通達が役所に届くかどうかという段階では、そして曹操がそういう文書の
流れを理解しているのであれば、『演義』でいう様に疑心暗鬼になるはずもありません。
また、この時曹操は「兵は多ければ多いほどよいとは限らない」という様な事を言ってるとか。
と、なると…募兵に苦労したというイメ−ジもちょっと変わる?のかも知れません。
そして、袁紹らが合流する前の段階で、張バク【辶+貌】らは盟約を交わしています。しかし、発起人とも
いうべき曹操は、無位無官を理由にその場にはいません。臧洪伝の記述はその様になっていますし、武帝紀
にはそのあたりの事ははっきりとは書かれていませんから、おおむね事実の様です。
蒼天などの他作品と比べると、宮城谷曹操、やはり異質です。
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