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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
193:左平(仮名) 2007/07/17(火) 22:26 三国志(2007年07月) 今回のタイトルは「龐統」。孔明とはかなりタイプの異なる偉材の登場です(ちなみに、容貌への言及は なし)。 益州を獲るべく孫瑜を西に遣わした孫権。これに対し、劉備は関羽・張飛を遣わしたことで、あわや全面 対決の様相を呈します。 が、しかし…。劉備の書状(低姿勢に終始)を受けた孫権は、ここで兵を引くよう命じます。訝しく思う 孫瑜ですが、良将たる孫瑜は、主命に背くことなく引き返します。 かくして、劉備はやすやすと江陵を確保。益州への道は、劉備がおさえることとなりました。孫権も後で 地団駄を踏んだのでしょうが…ここは劉備の勝ちでしょう。 我欲を剥き出しにしたといえる劉備の姿に、魯粛も軽く失望します。しかし成長した呂蒙の言葉をうけ、 思い直します。 人は、変わり得るもの。親・劉備派とみられる魯粛も、そう単純な存在ではありません。 ちなみに、呂蒙と魯粛の話の中で、関羽の人となりが語られています。春秋左氏伝を愛読した関羽は、儒 教的な正義観とはいささか異なるものを持っているようです。その思いは強烈で、漢朝にも、(漢帝を奉 ずる)曹操にも屈しません。いや、王朝的なシステムの構築を図りつつある劉備にさえも、どこか一線を 引いているのでは…とも。 高島氏でしたか、三国志における関羽の存在は巨大であると語っておられましたが、宮城谷氏もその図式 を描いておられるようです。 ここで、龐統が登場します。自己顕示欲が強く、毒舌家でもある彼は、呉の偉材(雇邵、陸積、全N)に 対してもかなりな物言いをしますが、それがかえって好かれるという得なキャラです。 とはいえ、はじめ、劉備は彼のことを気に入らなかったわけですから、人の見方というのは複雑ですね。 潘濬(清廉のみならず情義も併せ持つ、劉備好みの名臣。とはいえ、陳登もそうですが、そんな彼らが劉 備のもとを離れなければならないというのもまた世の習いか)のことも語りつつ、今回はここまで。 次回は、久しぶりに曹操のことが語られるようです。
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